歩みを止めなかった千日間。日本の精神を未来へ繋ぐ祈りの道

令和七年十二月十六日、宮司は千日にわたる回峰行を満願した。一日も欠かすことなく、千回目の歩みを重ねた朝であった。安倍晋三元総理が凶弾に倒れた数日後、深い悲しみと憤りの中で、ある一つの祈りが胸に宿った。日本のために生涯を捧げたその志を、形として後世に遺したい。その願いが、宮司を歩かせた。

夜明け前の午前四時、まだ星の残る闇の中を出立する。人影のない道を十三キロ、ただ黙々と進む日々であった。長野県阿南町の里道を中心に、時には奈良県吉野の山中にも足を運んだ。八十歳を超えた身体は決して軽くはない。それでも一歩一歩を大地に刻み、祈りを呼吸に重ねながら歩き続けた。

雨に打たれる日も、身を切る風の日も、雪が道を覆う日もあった。自然は常に厳しく、しかし同時に静かであった。立ち止まる理由は幾度もあったはずだが、足を止める選択はなかった。継続だけが、祈りを祈りたらしめると知っていたからである。

出立の際には、愛妻の弁当を携えることが日課となった。道の中ほどにあるテラスで、ただ一人それを開く。温もりの残る飯とおかずは、言葉なき励ましであり、支えであった。家族の静かな応援は、祈りを独りよがりなものにせず、人と人を結ぶ力へと変えていった。

この千日間、特別な奇跡が起きたわけではない。日々の小さな実践を積み重ねただけである。だが、その積み重ねこそが心を鍛え、精神を研ぎ澄ませる。日本人が古来大切にしてきたのは、一瞬の熱狂ではなく、途切れぬ歩みであった。見返りを求めず、名を求めず、ただ正しいと信じる道を続ける。その姿勢の中に、大和魂の本質が息づいている。

祈りはやがて実を結び、令和八年六月八日、安倍晋三元総理の銅像建立が定まった。これは一人の願いが叶ったという話ではない。志を継ごうとする多くの心が、静かに呼応した結果である。国を思い、未来を案じ、次代に何を遺すべきかを考える心は、今も日本の各地に確かに存在している。

宮司はこの回峰行を通じて、日本人の精神が決して失われていないことを確信した。苦難の中でも歩みを止めず、日常の中で誠を尽くす。その連なりが国を形づくる。大和魂とは声高に叫ぶものではなく、黙して続ける姿の中に宿る。

これからの日本に必要なのは、誰かがやってくれるという期待ではなく、自らが一歩を踏み出す覚悟である。小さな実践を今日も重ねる者がいる限り、この国の精神は未来へと確かに繋がっていく。千日の道は終わったが、祈りの道はこれからも続いていく。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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