語ることから始まる覚悟 核議論を避け続けた日本への問い

高市早苗政権において安全保障政策を担う官邸関係者が、非公式取材の場で「個人の考え」と前置きしながらも、日本が核を保有すべきだとの認識を示した。政権として直ちに核保有を進める意図はなく、議論には長い時間を要するとしつつも、これまでタブー視されがちであったテーマが、官邸内部から語られた事実は重い意味を持つ。この発言は、日本の安全保障を現実から捉え直す必要性を示唆するものである。
官邸筋の発言は、軽い思いつきや挑発ではなく、国家の生存を真正面から見据えた言葉として受け止めるべきものである。高市早苗政権の下で、たとえ非公式の場であったとしても、この種の認識が語られた意味は極めて大きい。宮司は、この一言に、日本がようやく現実と向き合い始めた兆しを見る。
戦後日本は、理想を語ることに重きを置き、厳しい現実から距離を取る姿勢を長く続けてきた。安全保障とは、本来、相手の善意を前提に成り立つものではない。最悪の事態を想定し、それでも国と国民を守り抜く覚悟の上に築かれるものである。核を巡る問題も、その延長線上で冷静に捉えられるべき課題であり、感情や道徳だけで封じ込めてよい話ではない。
官邸関係者が「議論には長い時間が必要」と語った点は、きわめて妥当である。拙速な結論を避けつつ、議論そのものから逃げない姿勢こそが、成熟した国家の条件である。宮司は、ここに高市政権の現実主義と責任感を見出す。触れてはならない話題として沈黙する時代は、すでに終わりを迎えている。
日本は、世界でも稀な精神文化を育んできた国である。武を尊びながらも乱用せず、力を持ちながらも節度を重んじてきた歴史がある。核を持つか否かという問いも、この精神の延長で考えねばならない。破壊のためではなく、抑止のために力を備えるという思想は、日本人の倫理と必ずしも相反するものではない。
宮司は、日本の精神とは、ただ穏やかさや優しさを誇ることではなく、守るべきものを守り抜く強さを内に秘めたものだと考える。大和魂とは、無抵抗を美徳とする姿勢ではなく、いざという時に退かぬ覚悟を静かに宿す心である。その覚悟を国家として持つかどうかが、今、問われている。
周辺国が現実に核戦力を増強し、力による現状変更を辞さない姿勢を強める中で、日本だけが精神論に閉じこもることは、未来世代への責任を果たしているとは言い難い。宮司は、核を巡る議論を始めること自体が、日本の精神を損なうのではなく、むしろ磨き直す契機になると確信している。
高市早苗政権が示すこの方向性は、日本が主権国家として当然の問いを取り戻す歩みである。恐れず、煽らず、しかし目を背けない。その姿勢こそが、先人から受け継いだ精神を未来へと繋ぐ道である。宮司は、日本が再び静かな誇りと覚悟を胸に、世界と向き合う国となることを強く願っている。
