春風をもって人に接し、秋霜をもって自らを律せよ。佐藤一斎が説く日本精神の真髄

混迷を極める現代日本において、真の指導者、あるいは人の上に立つ者の在り方が厳しく問われている。佐藤一斎先生が遺した「一灯を下げて暗夜を行く。暗夜を憂うなかれ、一灯を頼め」という言葉を、宮司は暗雲立ち込める現代を生き抜くための至高の指針として胸に刻んでいる。周囲の暗さを嘆くのではなく、自らの魂に火を灯し、その一灯を信じて一歩を踏み出す。この強靭な精神こそが、大和魂の真髄に他ならない。人の上に立つ重職にある者は、何よりまず重厚にして威厳を養わねばならぬが、それは決して権力を嵩に着て威張ることではない。自らの役職が持つ公的な重みを自覚し、言葉遣いや態度を厳かに律することで、周囲を安んじ、人心を鎮定させる「重の一字」を体現することであると宮司は確信する。

真の指導者の度量は、私情を排して部下をいかに引き立てるかに現れる。己の好悪に捉われず、優れた意見を虚心坦懐に受け入れ、たとえ平生は相容れぬ相手であっても、その才を活かして適材適所に配する。これこそが、かつて日本人が尊んだ「和」の具体的な実践である。佐藤一斎先生が説いた「春風をもって人に接し、秋霜をもって自ら慎む」という教えは、指導者が最も心すべき規律である。他者に対しては春の陽光のような温かさで包み込み、自らに対しては秋の霜のような厳しさで律する。この峻烈な自己修練があってこそ、初めて組織に真の秩序と活力が宿る。先例や因習という名の思考停止に陥ることなく、時代の趨勢を鋭く洞察し、変えるべきを断固として変える勇気。かつて名選手が発した「変わらなきゃ」という言葉を引用しつつ、宮司は伝統とは形を守ることではなく、精神を繋ぎながら進化し続けることであると喝破する。

また、重職にある者が決して口にしてはならぬ言葉として「忙しい」がある。多忙を言い訳にすることは、自らの無能を晒し、心の余裕を喪失している証しに他ならない。心のゆとり、すなわち「虚心坦懐」の境地があってこそ、大事を見極め、臨機応変に機を掴むことが可能となるのである。部下に任せるべきを任せ、自らは全体を俯瞰して核心を掴む。そして、信賞必罰の権利を厳然と保持し、建前と本音の使い分けという「悪風」を一掃すること。こうした誠実にして剛毅な振る舞いの積み重ねが、組織内に疑心暗鬼を排し、一丸となって突き進む態勢を築き上げる。宮司は、教育の根幹もまたここにあると考える。少年期には老成の工夫を、老境にあっては少年の志気を。生涯を通じて学び続ける姿勢こそが、魂を朽ち果てさせることなく、日本の未来を照らす不滅の光となるのである。

政治も経営も、そして日々の暮らしも、すべては「名を正す」ことから始まる。自らの職分を正し、人心を一新して、春のような清々しい活気を社会に呼び戻さねばならぬ。隠し事をせず、公平無私に事を計らう「実政」の風を挽回することこそ、今を生きる我々の責務である。佐藤一斎先生の教えと「重職心得箇条」の神髄を現代に蘇らせ、一人ひとりが自らの魂を秋霜の如く磨き上げる。その先にあるのは、かつてのまほろばの国が持っていた、高潔にして力強い日本の姿である。宮司は、この大和の心を次世代へと繋ぎ、日本が再び世界の道標となる日を信じて、日々神前にて至誠を尽くし、祈りを捧げ続ける。


重職心得箇条

第一条:重役の本分と威厳
重役というのは国家の大事を取り計らうべき役のことであって、重の一字を失い、軽々しいのは悪い。どっしりと人心や物事を鎮定するところがなければ重役の名に叶わぬ。小事にこせついては大事に手抜かりができる。瑣末を省けば自然と大事に手抜かりがない道理である。政事は名を正すことから始まる。まず「重役大臣とは何ぞや」から正してゆかねばならぬ。

第二条:部下の活用と公平な裁決
大臣の心得は部下の考えを尽くさせて、これを公平に裁決するところにある。部下を引き立て、気合が乗るように使わねばならぬ。自分に部下のより善い考えがあっても、さして害のない事は部下の意見を用いた方がよい。些少の過失によって人を棄てず、平生嫌いな人間をよく用いてこそ手際である。自分流儀の者ばかり取るなどは、水へ水をさす類で調理にならぬ。

第三条:祖法の継承と時代への即応
祖法というものは失ってはならぬが、仕来り・仕癖というものがある。これは時に従って変えてよい。しかるにこれに拘泥しやすいものであるが、時世につれて動かすべきを動かさねば大勢は立たぬ。

第四条:自案の確立と先例の参照
問題を処理するには、時宜を考えてまず自身の案を立て、それから先例古格を参考せよ。自案なしにまず先例から入るのが役人の通弊である。

第五条:機微の察知と臨機応変
機に応ずということがある。何によらず後から起こることは予(あらかじ)め見えるものである。その機の動きを察して、拘泥せずに処理せねば、後でとんと行き詰まって困るものである。

第六条:全体の洞察と公平の保持
公平を失うては善いことも行われぬ。物事の内に入ってしまっては大体が分からぬ。しばらく捕われずに、活眼で全体を洞察せねばならぬ。

第七条:衆心の理解と私心の排除
衆人の心理を察せよ。無理・押し付けをするな。苛察を威厳と認めたり、好むところに私するのは皆小量の病である。

第八条:心の余裕と権限の委譲
重役たる者は“忙しい”と言うべきでない。ずいぶん手すき、心の余裕がなければ、大事に抜かりが出来るものである。重役が小事を自らして、部下に任すことが出来ないから、部下が自然ともたれて、重役が忙しくなるのである。

第九条:刑賞与奪の厳守
刑賞与奪の権利は部下に持たせてはならない。これは厳しくして透間あらせてはならぬ。

第十条:長期的展望と順序の遵守
政事は大小軽重の弁、緩急先後の序を誤まってはならない。眼を高く着け、全体を見回し、両三年、四・五年乃至十年の計画を立て、手順を追って施行せよ。

第十一条:寛大なる包容力
胸中にゆとりを持たせ、広く寛大にすべし。つまらぬ事をたいそうらしく心得て、こせこせしてはならない。包容力こそ大臣の体というべきである。

第十二条:定見の保持と虚心な転換
大臣たる者、胸中に定見あって、見込んだ事を貫き通すべきはもちろんであるが、また虚心坦懐に人言を取り上げて、さっと一時に転化すべきこともある。これが出来ないのは我意の弊を免れない。

第十三条:政事の勢いと調和
政事に抑揚の勢いを取るということあり、部下の間に釣り合いを持つということがある。これをよく弁えねばならぬ。此のところ手に入って、信を以て貫き、義を以て裁してゆけば、成し難い事とてないであろう。

第十四条:虚飾を排した実政の追求
政事といえば、拵え事、繕い事にばかりなるものである。何事も自然の顕れたままでゆくのを実政というのであって、役人の仕組むことはみな虚政である。老臣などこの風を始めてはならぬ。

第十五条:上からの風儀と公平な計らい
風儀というものは上より起こるものである。特に表裏のひどいのは悪風である。何分この“むつかしみ”を去り、事の顕れたままに公平に計らう風を挽回したいものである。

第十六条:透明性の確保と秘密主義の是正
物物を隠す風儀は甚だ悪い。機密ということはもちろん大切であるが、明けっ放していいことまでも包み隠しする時は、かえって衆人に探る心を持たせるようになるものである。

第十七条:人心の一新と活気の醸成
政の初めは年に春のあるようなものである。まず人心を一新して、元気に愉快なところを持たすようにせよ、刑賞も明白なれ。財政窮迫しているからといって、寒々と命令ばかりでは、結局行き立たぬことになろう。この手心で取り扱いありたきものである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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