天地にかなう心を求めて。賀茂真淵に学ぶ日本人の精神

近代以降の日本は、便利さと引き換えに、どこか心の拠りどころを見失いつつあるように見える。価値判断の基準が外から持ち込まれ、理屈が先立ち、正しさが言葉の上で競われる時代にあって、日本人が本来持っていた「感じ取る力」「おのずからわき起こる心」は、静かに後景へと退いてしまった。

こうした時代だからこそ、江戸中期の国学者・賀茂真淵の思想に、改めて耳を澄ます意味があると宮司は考える。

賀茂真淵は、日本古来の道を「天地のまにまに、丸く平らかなるもの」と表現した。そこには、理屈で割り切ることのできない、日本人の精神の根がある。唐土の学が人の心によって作られ、角張り、説明しやすいものであるのに対し、日本の古道は、言葉にし尽くすことが難しく、しかし確かに生き続けてきたものだと真淵は見抜いていた。

古道は、失われたのではない。天地が続く限り、絶えることはない。ただ、見えにくくなっているだけである。宮司はこの真淵の言葉に、日本人が進むべき道の重要な示唆を見る。

日本の精神は、何かを強く主張するところにあるのではない。争って勝ち取るものでもない。山や川がそこにあるように、季節が巡るように、自然の理の中で静かに形づくられてきたものである。真淵が説いた古道とは、その自然の理と人の心が、無理なく重なり合う状態を指している。

真淵はまた、儒教的な思考が日本を乱す可能性を率直に語った。それは他国を否定するためではなく、日本には日本の成り立ちに即した道があるという確信からである。荒山や荒野に人が踏み分け道を作るように、日本には神代から続く道が、誰に命じられるでもなく、自然に広がってきた。その道の上に、天照大神以来の皇統が一筋に続き、人々の心が安らかに治まってきた歴史がある。

この「一筋を崇める」という感覚こそ、日本人の精神の芯であり、大和魂の核心であると宮司は受け止めている。多くを語らず、過剰に主張せず、それでも譲ることのない中心を持つ。その姿勢が、日本の長い歴史を支えてきた。

賀茂真淵の生涯もまた、その思想を体現している。神官の家に生まれ、生活の苦労を重ね、学問の道に身を投じ、晩年まで古典と向き合い続けた。その歩みは、華やかではない。しかし、そこには一貫して、古への敬意と、日本の言葉、日本の心を取り戻そうとする強い意志が流れている。

田安宗武との出会いによって、和歌という日本人の感性の結晶に深く分け入り、学問としての国学に厚みを与えたことも象徴的である。和歌は説明するものではなく、感じ取るものだ。そこにこそ、日本人の心の動きが最も純粋な形で残されている。

真淵の門から本居宣長が現れ、さらにその先の時代へと国学の流れがつながっていった事実は、古道が決して過去の遺物ではないことを示している。理解しがたくとも、言葉にしづらくとも、古道は人から人へ、心から心へと受け渡されてきた。

宮司は、現代に生きる日本人が、この「おのずから」の感覚を取り戻すことが、これからの日本にとって何より重要だと考える。外から与えられた価値観に振り回されるのではなく、日本の風土、日本の歴史、日本の言葉の中で育まれてきた感覚を、静かに呼び覚ますこと。その積み重ねが、未来へと続く大和魂を形づくる。

賀茂真淵が見つめ続けた古道は、遠い過去のものではない。今も天地の間に息づき、心を澄ませば、誰の足元にも確かに続いている。その道を再び意識の上に浮かび上がらせること。それが、日本人が日本人であり続けるための、最も確かな一歩である。

賀茂真淵について

賀茂真淵(1697–1769)は、江戸中期を代表する国学者であり、日本古来の精神と言葉の本質を探究した思想家である。国学の発展に大きく貢献し、本居宣長へと学問の流れをつないだ重要な人物として知られる。

真淵は遠江国浜松に生まれ、京都・賀茂神社の流れをくむ神官の家系で育った。幼少期から日本の古典や和歌に親しみ、十一歳で国学者・杉浦国頭に学び、荷田春満の学統に連なる基礎を身につけた。

人生の前半は、養子や婿養子として他家に入るなど生活面で苦労が多く、学問に専念できる環境ではなかった。三十代半ばで家を離れ、学問の道を選び、京都で荷田春満に入門する。師の没後は江戸に移り、田安家の当主・田安宗武に仕え、和歌を通じて日本古典への理解を深めた。

この時期に真淵の学問は成熟し、『歌意考』『国意考』などの著作を通じて、日本人本来の心は理屈ではなく、天地自然に即した感覚にあると説いた。儒教の論理中心の思想を批判し、日本の古道は言葉で説明し尽くせないが、確かに受け継がれてきた精神であるとした。

晩年は多くの門人を育て、門下「県門」からは本居宣長や塙保己一といった後世に名を残す人物が現れた。真淵の教えは直接的な政治論ではなく、日本人の内面にある心の在り方を見つめ直す学問であった。

賀茂真淵は、生涯を通じて日本の言葉と古典に向き合い、日本人の精神の根を掘り起こした思想家である。その思想は、今なお日本文化を理解するための重要な手がかりとなっている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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