吉田松陰先生、教えてください

「吉田松陰先生、日本を取り戻すために、今なすべきことは何ですか?」

この問いが胸に去来するとき、私の心にまず浮かぶのは、かつてこの国の未来を真剣に見つめ、命がけで守ろうとした一人の政治家の姿である。私と吉田松陰先生の同郷である安倍晋三元総理―彼はまさに、「至誠の人」であった。知性と品格を備え、日本の伝統を尊重し、国家の矜持を取り戻そうとしたリーダーである。

だが、いまの日本に「至誠の人」と呼べる政治家はいるのだろうか。

確かに、表舞台には様々な新興政治家たちが登場している。しかし、その言動や振る舞いを見ていると、心から国を思い、民のために尽くす覚悟を持っている者がどれほどいるか、疑わしくなるのが現実だ。

たとえば「れいわ新選組」の山本太郎氏。彼は一見、庶民の目線で語りかけるが、言葉の使い方が稚拙で、日本語の美しさや日本文化に根差す「和の心」に乏しい。激情に任せた言動も多く、礼節を欠き、至誠の人とはとても呼べない。

また、「参政党」の神谷宗幣氏。彼は聡明で弁も立つが、激情的で独善的な印象が強く、組織のトップとしては危うさを感じさせる。かつて秘書が自殺したという痛ましい出来事もあり、部下を思いやる包容力や、劉備玄徳のような「人を生かす力」に欠ける。さらに、女性天皇を認めるといった発言には、日本の伝統に対する認識の甘さを感じざるを得ない。

一方で、「誠真会」の吉野敏明氏―いわゆる「よしりん」には、期待の眼差しを向けている国民も少なくない。彼の言葉には、現時点で一定の一貫性があり、歯に衣着せぬ発言が共感を呼ぶ。だが、本当に政治家として信じられる人物かどうかは、選挙に当選した後の行動にかかっている。口では立派なことを言っていても、当選すれば財務省や経団連に迎合し、従来の政治家と何ら変わらぬ存在に成り下がる者がどれほど多いことか。

だからこそ、私たちは目を凝らして見なければならない。言葉だけでなく、その人の行動、その人が築く人間関係、そして何より「至誠」があるかどうかを。

至誠とは、利害や保身を超えて、真心をもって他者に尽くす姿勢である。国家を思い、国民を愛し、先祖の志を継ぎ、子孫に誇れる未来を残そうとする覚悟。安倍晋三総理は、まさにその至誠を体現した政治家だった。

いま、私たち国民一人ひとりが、その「至誠」を見抜く眼を持つことが求められている。誰かがやってくれる時代ではない。日本を取り戻すとは、私たち自身が覚悟を持ち、この国を再び誇れる国に再生させることなのだ。

そしてそのためには、至誠の人を見出し、支え、育てることこそ、我々が今なすべき第一歩なのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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