この世に無用な命は一つとしてない

いのちについて、宮司として長年祈りとともに生きてきた者の立場から、どうしても伝えておきたいことがある。

この世に、「不要な命」など一つとして存在しない。どの命も、例外なく尊く、意味を持って生まれてきている。今、生きていること、それだけであなたの存在には計り知れない価値がある。

命を自分ひとりの所有物だと考える風潮が広まっている。自分の命だから、死のうと生きようと自分の自由ではないか、という声もある。しかし、その考え方は、あまりにも哀しく、もったいない。命は確かに個人の中に宿るものではあるが、同時に、祖先から受け継いだものでもあり、子や孫へと受け渡すべき、かけがえのないつながりの一部でもある。命は血の中に宿る祈りであり、未来への贈り物なのだ。

現代の日本社会は、豊かで便利な反面、人と人との関係が希薄になり、命の尊さを実感しづらい時代になっている。自分の命を見限る人が増え、生きる希望を失う若者たちの声を耳にするたびに、胸が締めつけられる。どんなにつらく、絶望に打ちひしがれていたとしても、命は捨ててはならない。それは自分一人のものではないからだ。

税は国家のものではないという声があるように、命もまた、自分だけの財源ではない。命とは、国を形づくる柱であり、日本という国の魂そのものでもある。一人ひとりの命がつながることで、共同体が成り立ち、文化が育ち、歴史が続いていく。

いま日本は、目に見えぬ深い病を抱えている。それは経済の問題でもなければ、制度の欠陥でもない。人々が自分自身の存在を過小評価し、社会から必要とされていないと感じてしまっているという心の病である。命の価値を見失えば、やがて国そのものの価値も揺らいでいく。

願わくば、この国の未来のために、自分の命を役立てる覚悟を持ってほしい。もしも、我が国に危機が迫り、祖国が侵略されるような時が来たならば、勇気をもって立ち上がり、命をもって国を守ってほしい。だがそれまでは、どんなことがあっても、生き抜いてほしい。命ある限り、誰かを励まし、支え、希望の光となってほしい。

人は、たった一言の言葉に救われることがある。「あなたは大切な人です」と、そう言われるだけで、心がふと温かくなる。千の理屈より、ひとつの真心の言葉が、人の命をつなぎとめる力を持つ。たとえその言葉が本心でなかったとしても、傷ついた心を癒すことがある。嘘だとわかっていても、その一言に涙し、生きようと思える瞬間がある。

いのちより大切なものが、この世にはあるのだと、誰かに教えてほしい。ただ一言、「あなたがいなければ、生きていけない」と言ってもらえるだけで、どれだけの人が救われるだろうか。見返りなど求めない無償の愛に、人は憧れ、求めている。

だからこそ、願う。もしも今日が人生の最後の日となるのならば、「あなたは、世界で一番大切な人」と、誰かに言ってあげてほしい。そしてできるなら、自分も誰かにそう伝えてほしい。墓前で涙を流すよりも、生きている今、目の前にいる人に、その言葉を届けてほしい。

命は儚いが、言葉は残る。言葉には魂が宿る。祈りを込めた一言が、誰かの生を支えることがある。だからこそ、命を軽んじず、言葉を信じ、共に生きようとする心を大切にしていきたい。

それが、神々に守られしこの国で生きる者の、静かな祈りである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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