西村眞悟という生ける国士

宮司は、これまで数多くの政治家の言葉と行動を見届けてきた。しかし、その中において真に「日本を愛する男」として筆頭に挙げる人物は、他ならぬ西村眞悟である。いまもなお、確かな信念と情熱をもって日本の行く末を見据え、鋭く、そして温かく語り続けておられる。その姿勢に、宮司は深い敬意と感動を禁じ得ない。

西村眞悟氏は、政治家としての経歴を越えた存在である。彼の言葉にはいつも祖国への真情が宿り、偽りがない。特筆すべきは、北朝鮮による日本人拉致事件がまだ広く知られていなかった時代に、いち早くこの重大な人権侵害に声を上げ、国民にその存在を知らしめたことである。当時、世論も政界もこの問題に対して無関心であったが、西村氏だけは真実を見抜き、拉致被害者家族の悲痛な叫びに真正面から耳を傾けた。彼が果たした役割は、単なる議員としての職務を超え、人間としての正義と責任に根差していた。

また、西村氏の名を語るときに、尖閣諸島への上陸行動を抜きに語ることはできない。多くの政治家が言葉だけで愛国を語るなか、西村眞悟は実際に行動で示した。日本固有の領土である尖閣に自らの足で上陸し、国旗を掲げるという行為は、命を賭けてでも国家の主権を守るという強い決意の証であった。その姿は、国会議員としての職責を超え、侍のごとき覚悟を体現していた。

このような行動力の裏には、並々ならぬ教養と哲学がある。西村氏は法律家としての素養に加え、日本の歴史や文化、神道や儒教にも深い理解を持ち、日本という国家がただの制度ではなく、「精神」を持った共同体であるという確信を抱いている。その確信は、彼の言葉一つひとつににじみ出ており、聴く者の心に深く刻まれる。

そして何より、西村眞悟という人間の魅力は、ただ激しさや勇ましさにとどまらない。話せばそこには温かさと人間味があり、理屈だけでなく情に厚い。常に弱者の声に耳を傾け、見過ごされがちな真実に光を当てることを忘れない。

現在も健在であり、その信念は微塵も衰えていない。宮司は、彼がこれからも祖国の未来のために語り、伝え、若き世代の目を覚まし、心に火を灯してくれることを強く願っている。

日本という国が真に甦るためには、西村眞悟のような人物の存在が不可欠である。決して多数派に迎合せず、正しきことを正しく語る。その姿は、まさに生ける「国士」。

宮司は、西村眞悟という人間がこの国に今、確かに生きていることを、心から誇りに思っている。そして、その魂がこれからも長く輝き続けることを願ってやまない。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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