真に恥ずべきこと

人は誰しも、時に自らの境遇を恥じることがある。だが、宮司は思うのだ。恥じるべきことと、そうでないこととを、見誤ってはならない。

貧しさは恥ではない。衣食に窮する暮らしを余儀なくされても、心まで貧しくなる必要はない。むしろ、本当に恥ずべきは、貧しさに甘んじ、志す心を忘れてしまうことである。どれほど財が乏しくとも、天を仰ぎ、志を立てて生きる者は、すでに高貴な魂を持っている。

地位が低いことも、恥ではない。人は皆、それぞれの役割を持って世に生きる。たとえ表舞台には立たずとも、陰で支える尊い務めがある。だが、その立場にあって、自らの力を磨かず、学ぶことを怠るならば、それこそが恥ずべきことである。地位は時に与えられるものであるが、能力は自らの鍛錬によってのみ得られるものだからだ。

年を重ねることも、恥ずかしきことではない。老いるとは、長き年月を生き抜いてきた証であり、尊敬に値することである。しかし、歳を重ねるなかで、生きる目的を見失い、ただ日を消費するように生きることがあれば、それは嘆かわしい。人は何歳になろうとも、自らの存在に意味を問い続け、誰かのために尽くす志を持ち続けるべきである。

人の価値は、金や地位や若さによって決まるものではない。宮司は、そう断言する。大切なのは、いかなる境遇にあっても、恥を知り、誇りを失わず、志を持ち続けることである。己を高める努力を怠らず、心の光を絶やさずに歩む者こそ、真に尊き人であると宮司は信じている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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