旅路の果てに得た至福

長野の阿南町、緑深き山奥の暮らしから、宮司は姉の夫の一周忌法要のため、山口県の周南市へと向かいました。飯田市の伊賀良からバスで名古屋へ、そして新幹線に乗り継いで徳山駅へ。長い道のりではありましたが、無事に法要を終え、厳かな時間を過ごすことができました。

滞りなく役目を果たし、再び名古屋まで戻ったところで、予期せぬ事態が待ち受けていました。飯田行きのバスが、どの便も満席だというのです。途方に暮れましたが、どうすることもできず、名古屋駅近くのホテルに一泊することにしました。

翌日、幸いにも午後三時の便に一席だけ空きを見つけることができ、それまでの時間がぽっかりと空きました。そこでふと、映画でも観てみようと思い立ち、目に留まったのが『国宝』という作品でした。「一体どんな映画なのだろうか」という軽い気持ちで、宮司は映画館の闇に身を沈めたのです。

しかし、その考えはすぐに覆されました。スクリーンに映し出されたのは、宮司の想像を遥かに超える、絢爛かつ深遠な世界でした。日本の伝統文化、歌舞伎の魂が、そこにはありました。繰り広げられる物語に、宮司はすっかり心を奪われ、胸が高鳴り、ワクワクドキドキが止まりません。三時間という長さを全く感じさせないほど、その世界に没入していました。

俳優たちの魂のこもった演技、そしてこの一本の映画を創り上げるために、どれほど多くの人々が情熱と心血を注いだことか。その計り知れない労苦に思いを馳せると、ふと、自分の頬に熱いものが伝っていることに気づきました。感動で、涙が溢れていたのです。カンヌ映画祭で最高級の評価を得たというのも、心の底から納得できました。これは間違いなく、世界に誇るべき傑作です。

思えば、バスが満席で帰れなかったことは、天の配剤だったのかもしれません。もしすんなり帰れていたら、この生涯忘れ得ぬ感動に出会うことはなかったのですから。アクシデントに見舞われたはずの一日が、宮司にとって最高の贈り物となりました。ああ、バスに乗り遅れて、本当によかった。

帰りのバスを待つ間も、宮司の胸は『国宝』の熱い感動で満たされたまま。早くも、もう一度あの素晴らしい世界に浸りたいという思いが、込み上げてくるのでした。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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