真実を見抜く思考の原則

宮司は、どんなに時代が混迷しても、物事を見抜く力を手放してはならないと考える。そのために、常に心がけている「思考の三原則」がある。

第一の原則は、目先にとらわれず、できるだけ長い目で見ること。国家の針路、社会の風向き、そして人の心は、今この瞬間だけを切り取っても見えてこない。十年先、百年先を見据える視点があってこそ、何を為すべきかが定まる。短絡的な判断では、真理も未来もつかめない。

第二の原則は、物事の一面に偏らず、多面的・全面的に捉えること。一つの視点に固執すれば、真実の全体像は見えなくなる。あらゆる情報、発言、行動には別の意味と側面がある。それらを立体的に捉え、全体構造の中で位置づけることが必要だと宮司は学んできた。

第三の原則は、枝葉末節に惑わされず、物事の根本を見つめること。表面的な言葉や演出にとらわれれば、核心から遠ざかる。騒がしい議論の裏にある本質、構造、目的に目を凝らし、根を見る姿勢を失わない。どれほど情報があふれても、根に至らなければ意味がない。

この三原則に加えて、宮司は常に三つの補助的な思考の軸を意識している。

第一に、報道の嘘を見抜くこと。新聞、テレビ、インターネットで発信される情報の多くは、すでに加工されている。特に朝日、毎日、読売などの大手マスコミは、特定の思想や利権に基づいて報道を構築している。報道を信じるのではなく、その裏を読むことが必要である。宮司は、彼らが何を隠し、何を強調し、誰のために記事を書いているかを見抜こうとしている。報道の逆側にこそ、しばしば真実がある。

第二に、評論家の嘘を見抜くこと。実践を伴わず、言葉だけで世を語る者たちは数多い。橋下徹、堀江貴文、竹中平蔵、西村博之、池上彰、田原総一朗。名が知られていようと、彼らが現場で何かを背負ったわけではない。すべては商売であり、利益と人気のための発言に過ぎない。宮司は、言葉に責任を持たない者を信用しない。

第三に、自分は中立だと自称する者を信用しないこと。右でも左でもない、どちらにも与しない、そんな姿勢は一見、冷静で公正に見えるかもしれない。だが実際は、立場を取らず、責任を回避する者の逃げ口上に過ぎない。真に考える者は、どこかに立脚しなければならない。曖昧な中立に身を隠す者こそ、最も警戒すべき存在である。

宮司は、これらの原則と姿勢を、日々の祈りや行いの中に生かしている。神を前にして嘘は通じない。人として、国民として、そして神職として、何を信じ、どう生きるかが試される時代にあって、思考を怠ることは罪に等しい。見抜く力は、学歴ではなく、志と実践によって養われる。

誰もが情報に晒され、誘導されやすい今だからこそ、宮司は声を大にして伝えたい。報道を信じるな。評論に惑わされるな。中立の仮面に騙されるな。

真実は、静かに、深く、そして根の奥に眠っている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次