日本を滅ぼす者たちと、それでも目を覚まさぬ国民へ

宮司は、いまこの国が深い絶望と危機に沈んでいることを日々感じている。真に日本を守るべき立場にある政治家たちが、その使命を果たさず、むしろ国を害し、国民を裏切っているからである。

石破茂、小泉進次郎、河野太郎。この三人は、政治家でありながら国家観を持たず、国益を踏みにじる発言と行動を繰り返してきた。宮司は、これらの人物を「三馬鹿」として記憶する。彼らの軽薄さ、無責任さ、思慮のなさは、もはや笑って済ませられる段階ではない。とくに農林水産行政の頂点に小泉進次郎を据えるなど、政策の空洞化を通り越して、日本を見限った証であるとしか受け取れない。

加えて、岩屋毅、森山裕、加藤勝信。これらは中国の顔色ばかりをうかがい、日本の独立と誇りを軽んじる者たちである。宮司は、彼らを「三国賊」と名づける。日本人でありながら日本の敵となる彼らの存在は、武器を持たぬ内なる侵略者に他ならない。

さらに深刻なのは、田中角栄、小沢一郎、二階俊博のような古き媚中政治家たちの残した遺産が、いまも政界に根深く生きていることである。かつて日本を経済的に売り渡し、国の魂を犠牲にしてでも一部の利権を守ってきた者たちの系譜が、令和の政界にも息を吹き返している。

宮司はまた、小泉純一郎と竹中平蔵のもたらした災厄を忘れていない。派遣労働制度の拡大は、日本人から誇りを奪い、働くことの尊さを破壊した。郵政民営化や市場原理主義の導入は、アメリカに富を献上し、日本人の生活を貧しくした。自民党が国民から見放されるようになったのは当然であり、むしろ遅すぎたとも言える。

石破茂が総理となってなお、彼を引きずり下ろす勇気を持たぬ自民党員の姿に、宮司は深い絶望を覚えている。党内に正義も覚悟もなく、ただ既得権と保身に執着するだけの存在になり果てた。財務省、経団連、メディア──これら巨大な利権共同体に抗えぬ自民党に、もはや自浄作用を期待することはできない。

野党に至っては、石破政権が続けば自民党がますます国民から見放されると考え、密かにその失墜を歓迎している節がある。選挙での自民の敗北を喜び、政権の腐敗をあえて放置する冷笑的な戦略が透けて見える。

保守派の一部にも、自民党が参議院選挙で惨敗しさえすれば、石破政権に引導を渡すことができるという思惑がある。だが、それはあまりにも遅い。石破茂には退陣の意思はなく、むしろ中国による台湾・日本侵略のXデーまで、どんな手段を使ってでも政権の座に居座ろうとする執念すら感じられる。

宮司は確信している。石破や森山、岩屋のような政治家は、中国共産党が日本を属国とする未来において、真っ先に「日本省」の要職を与えられる手はずになっている。彼らにとって国家とは守る対象ではなく、自らが生き残るための手段に過ぎない。

そのとき、麻生太郎や高市早苗、西田昌司、平野雨龍のような、国家を守ろうとした者たちは粛清の対象になる。宮司は、そうなる未来を強く危惧している。

そして、日本人の多くが「ゆでガエル」と化していることもまた、憂うべき現実である。いざ中国の侵略が現実のものとなり、慌てて国外脱出を試みたとしても、すでに国内に入り込んでいる中国人の手によって阻まれるだろう。目覚めるのが遅すぎたと気づくその瞬間に、日本人は命と国を失っているかもしれない。

現政権にはびこる媚中勢力は、すでに「命の選別」を始めている。中国に友好的な者は助けられ、抵抗する者は排除される。甘言とハニートラップで骨抜きにされた政治家たちは、自らの安泰と引き換えに日本を売る。

宮司は、怒りと悲しみを込めて訴える。もはや猶予はない。この国を守るには、真実を見抜く目と、立ち上がる勇気が必要だ。日本人よ、平和ボケを捨て、覚悟を決めよ。今こそ、国と未来を守る行動を起こす時である。


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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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