師の言霊、心の灯火

我がお師匠様方の教えは、いまも胸に刻まれている。道に迷ったとき、心が折れそうになったとき、その言霊が心の奥底から立ち上がり、歩むべき方向を照らしてくれる。
安岡正篤師父が用いていた雅号「素心」。これは、まさに人の生きる道そのものである。飾らず、驕らず、素直な心で世に仕える。その大切さを、師父は何度も語ってくださった。「牛のけつになってはいけません」とは、他人の後ばかりをついていくのではなく、自らが覚悟を決めて先頭に立ち、時代を切り拓く者となれという教えである。知識ばかりを溜め込んでも、それを行動に移さねば意味がない。物知りの人になるより、実際に動き、責任を果たす人間となること。その重みを、言葉だけでなく背中で示してくださった。
平澤興先生の言葉にも、深い叡智が宿っていた。「情報がすべて正しいわけではない」「情報に騙されてはいけない」と、常に諭されていた。目に見えるものや聞こえてくる言葉が必ずしも真実とは限らない。特に、マスコミ報道に対しては冷静な目を持つようにと、繰り返し戒めを受けた。さらに、「ニコニコする人は命がけが欠ける。命がけの人は笑顔が欠ける」との教えには、人間の在り方が凝縮されている。笑顔の裏に覚悟がなければ軽く見られる。覚悟だけでは人を遠ざける。大切なのは、笑顔と覚悟を両立させること。命を懸けるほどの真剣さを持ちながら、穏やかな笑顔を忘れない人間になることが、何より大切である。
豊田良平師匠からは、「自分を見限ったらいかん」と厳しくも温かい言葉をいただいた。どれだけ失敗しても、年を重ねても、自分自身を信じることをやめてはならないと。人は、自らに見切りをつけた瞬間から、衰えが始まる。「いつもターゲットを持ちなさい」とも教えられた。目指すものがあるからこそ、日々の行動に意味が生まれる。志がなければ、人生はただの流される日々になってしまう。ターゲットを定め、そこへ向かって努力を重ねる。その姿勢こそが人を成長させる。
これら三人の師から賜った教えは、言葉ではあるが、魂の奥深くに刻まれている。それぞれの言葉には、その方の人生が映っており、生き方そのものが滲み出ている。知識や学問を超えた、まさに「生きた叡智」である。こうした教えを授かったことは、何にも代えがたい宝である。
その教えを、これからも胸に抱き、次の世代へと伝えていくことが自分の務めだと信じている。言葉は形を持たないが、志を込めれば人の魂に届く。その力を信じ、言霊を紡いでいきたい。