不屈の「シンゾー」、世界最高の政治家を偲んで

日本という国が、いまどこへ向かっているのか。国民の顔に漂う不安と諦めの色を見つめながら、宮司の胸に強く浮かぶのは、安倍晋三という政治家の存在である。彼こそは、混迷の時代に希望の火をともし続けた真のリーダーだった。
戦後の日本において、安倍晋三ほど国と国民のために尽くし、世界に日本の存在を高らかに示した政治家はいない。宮司は、彼の姿を三島由紀夫と並ぶ人物として敬愛している。三島が命を賭して訴えた国家の尊厳を、安倍晋三は現実の政治において体現していた。まさに至誠の人であり、知行合一を貫いた稀代の人物であった。
リーダーに最も必要とされるものは、まず品格である。立場や能力の前に、人としての格が問われる。安倍総理は、どんなときにもその品格を崩さず、国家を背負う者としての矜持を失わなかった。演説の随所に見せる明るさとユーモアは、民の不安を和らげ、重苦しい時代に一筋の光を投げかけた。
言葉だけではない。実行力が伴わなければ、政治家は信頼を得られない。安倍総理は「言行一致」の人物であり、約束したことは必ず実行する。その姿勢が国民の信を集めた。拉致問題においても、誰よりも強い情熱を持って取り組み続けた。言葉の上ではなく、行動の上で苦しむ人々と共に歩んだ政治家だった。
出処進退を誤らないということも、リーダーの資質である。第一次内閣での退陣は潔さの証であり、再び国難のときに立ち上がった姿は、武士道に通じるものであった。責任から逃げるのではなく、自らの役割を引き受け、再び立ち上がる。その姿を宮司は今も忘れない。
安倍総理は常に「国民のかまど」を気にしていた。景気回復、教育再生、外交安全保障、あらゆる分野において、国民生活の安定を第一に考えていた。自己保身に走る政治屋とは一線を画し、真に国民の幸福を願って行動していた。
家庭を大切にする姿勢も、リーダーの人間性を映し出す鏡である。安倍総理が妻・昭恵夫人を大切にする姿には、夫婦の信頼と敬意がにじんでいた。家族を軽んじる政治家に、国民を大切にすることなどできない。安倍総理は、家庭にも国政にも、同じように誠実であった。
宮司がいま、安倍晋三に最も近い人物として注目しているのが、誠真会の党首・吉野敏明である。彼には偽りがない。選挙の票や地位のために信念を曲げることなく、命をかけて日本の未来を守ろうとしている。愛妻・吉野じゅんこを心から大切にし、周囲の責任に逃げることなく、すべてを引き受けて前へ進む。その姿は、安倍総理の精神を正しく継承している。

政治の世界では語られぬままにされてきた「ハニートラップ」や「マネートラップ」の問題にも、吉野敏明は真正面から切り込もうとしている。さらに、国民の健康を脅かす「四毒」に対して、予防と対策を講じる姿勢は、単なる言葉ではない行動の政治である。
金儲けのために政治を利用し、今だけ・金だけ・自分だけという価値観に染まった政治屋がこの国を蝕んでいる。吉野敏明はそうした体質に毅然と立ち向かい、「名も地位も望まぬ」と言い切って、二刀流で命を削っている。
一方で、宮司が国を託せないと感じる政治家の名も挙げねばならない。石破、小泉進次郎、河野太郎。言葉は軽く、行動は曖昧で、自己保身ばかりを優先する人物に国の舵を任せてはならない。過去に日本を誤らせた政権にも、小泉純一郎、鳩山由紀夫、菅直人、田中角栄、岸田文雄といった名が並ぶ。彼らは国益よりも私利を優先し、日本を衰退の道へ導いた。
国会は今、悪臭を放つまでに腐りきっている。このままでは、国民の命運もまた薄れていく。宮司は今こそ、「洗濯」のときだと考えている。国会を一度空にし、志ある者だけで再び組み直す。そのくらいの大転換が必要である。
知性と教養、そして品格を備えた人物が、この国には必要である。安倍晋三の精神を受け継ぐリーダーを、国民自らの手で選び出すことが、令和の日本を再び輝かせる唯一の道であると、宮司は確信している。