大和こころを結び直すとき

安倍神像神社 宮司・佐藤素心の祈り
安倍神像神社の祭壇に立つとき、宮司の胸に深く響くのは、この国の礎に脈々と流れる「大和こころ」である。清らかで、誇り高く、他者を思いやる優しさを湛えたこの心は、長い歴史の中で日本人の精神的支柱となってきた。しかし現代、この大和こころが霧のようにかき消されつつある。理由は明白だ。戦後日本に根を張った「自虐史観」が、国民の誇りと歴史への敬意を奪ってしまったからである。
宮司が詠んだ歌には、その強い危機感と再生への願いが込められている。
敷島の 大和こころを 結ひ直し
自虐史観の 日本目覚めよ
「敷島」は日本の古称であり、「大和こころ」は日本人が長く培ってきた精神性を象徴している。それは単なる民族的なアイデンティティに留まらない。自然と共生し、祖先を敬い、己の役割を淡々と果たす、その慎ましさと潔さを指している。
かつて日本には、自国の歴史を子どもたちに語り継ぐ家庭が多くあった。曽祖父母の話を通して、戦中戦後の苦労と誇りを学び、地域の祭りや神事を通じて、自分の生まれ育った土地への感謝と責任を育んでいた。それがいつしか、教育や報道において「加害の歴史」ばかりが強調され、日本の偉人や伝統文化に触れる機会が失われていった。
大東亜戦争は、すべてが侵略であったというのは事実ではない。この戦いには侵略の意図はなく、日本は自衛のために立ち上がり、西洋列強によって植民地支配されていたアジア諸国を解放するという使命を背負っていた。現に、戦後すべてのアジアの植民地は独立を果たし、戦いの果てに「アジアの目覚め」が現実となった。この歴史的意義を、今こそ正当に評価し直すべき時が来ている。
宮司は神社の仕事を通じて、参拝者の語る心の声を聞いてきた。「自分の国を誇れないのはつらい」「子どもに堂々と教えられる歴史がほしい」と語る人は少なくない。安倍晋三元総理の業績と志を讃えるために建立されたこの神像神社は、まさに日本人が再び「誇りを取り戻す」場所であると、宮司は確信している。
神社の境内には、戦没者を祀る碑もある。そこに刻まれた名前一つひとつが、家族の愛に包まれながら国を思い、命を賭した日本人の魂である。彼らが託した未来を、我々がどのように受け継ぐのか。それは政府や教科書の問題だけではなく、一人ひとりの「心の構え」にかかっている。
「大和こころを結ひ直す」とは、過去を美化することではない。事実に誠実に向き合いながら、自国の文化・歴史を正当に評価し、自分の国を愛する感情を素直に表すこと。その自然な心の在り方を、もう一度この国の柱に据えることを意味している。
神道には「惟神(かんながら)」という言葉がある。人間が自然の摂理に従い、神とともに生きる姿勢を示す。大和こころもまた、自然や人との調和を重んじる心であり、それが日本という国の底力になってきた。
目覚めよ、日本。その言葉に込められたのは、怒りではなく希望である。未来の子どもたちに、胸を張って語れる歴史と文化を残すために、今こそ一人ひとりが大和こころを手繰り寄せ、しっかりと結び直す時である。
安倍神像神社の鳥居をくぐったとき、静かに手を合わせたその瞬間から、その目覚めは始まっている。