愛を語る唇、美しさを宿す心

宮司は、女優オードリー・ヘップバーンの言葉に深く心を打たれた。「美しい唇になるためには、美しい言葉を話そう」。この短い言葉には、人としての在り方、ことばの力の本質が凝縮されている。日本人が古くから大切にしてきた「大和言葉」は、まさにその美しい言葉の象徴である。思いやり、やさしさ、慎み深さ。そうした言葉を選び、語ることは、外見の美しさを飾る以上に、心の品格を育てていく。

いばる男というのは、まだ本物の一流ではないのだと、ヘップバーンは語っていた。その言葉に宮司は静かにうなずく。真に一流の人物とは、自らを誇示する必要のない人であり、内面の深さで人を惹きつける。そのような人は、語る前にまず行動で示す。「愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの」と彼女は言う。確かに、どれほど立派な言葉を並べたとしても、それが行動を伴わなければ、誰の心にも響かない。

人間には二つの手がある。一つは自分のために、もう一つは他者のために。ヘップバーンのその言葉に、人間が本来持っている「愛する力」が込められている。だがその力も、使わなければ衰える。筋肉と同じように、鍛えてこそ、真の意味で「愛する人間」になれるのだと宮司は考える。

オードリー・ヘップバーンは、銀幕の中だけでなく、人生そのものがひとつの芸術だった。華やかな映画の世界を離れた晩年、彼女はアフリカの貧しい子どもたちのために、献身的な支援活動に身を捧げた。自らの名声を使い、人知れず愛を注ぎ続けたその姿は、まるで地上に舞い降りた善良な妖精のようだった。

人を傷つける言葉を吐くことは簡単だ。しかし、短所を責めるのではなく、美点を見つけてほめることで、言葉は祝福の贈り物となる。誰かに喜ばれるような言葉を選ぶとき、自分の心が磨かれ、自らの姿にも不思議と輝きが宿るようになる。

宮司は思う。最後に人を評価するのは、その人の「愛」であると。どれだけの学歴や地位を持っていても、どれだけ財産を築いても、それだけでは人の尊さは語れない。人生の最後に残るもの、それは他者のためにどれほど自分を使ったか、どれほどの「愛」を注いできたかという一点に尽きる。

過去を恨み、愚痴をこぼすだけの人間ではなく、今を生き、未来を語り、夢と希望を胸に抱き続ける人間でありたい。宮司は、オードリー・ヘップバーンの生き方から、そのような人生の姿勢を学んでいる。

心の美しさは、必ず外見にも表れる。だからこそ、まず言葉を美しく。愛をもって語ることから、すべてが始まる。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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