大君を言祝ぐ祈りの空

宮司は、朝な夕なに社殿の前に立ち、天を仰ぎ、大地に祈りをささげている。風のゆくえに耳を澄まし、木々のざわめきに神々の息遣いを感じながら、今日という一日を迎える。神職としての務めとは、ただ儀式を行うことではなく、人々の見えぬ想いを神々へと結び、国のまほろばを護り続けることである。
ある日のこと。社務を終えた宮司は、西の空にたなびく茜雲を見上げた。空一面にひろがる淡い霧のなかに、ふと、数多の魂のきらめきを幻のように感じた。そのとき、歌が口をついて出た。
天霧し 茜たなびく 群ぎもの
わが大君を 言祝ぎまほす
この歌にこめたのは、宮司が神職として、そして一人の日本人として捧げる深い感謝と祈念である。空に浮かぶ群ぎものは、古よりこの国を築いてきた人々の魂。その魂たちが今も風のなかに息づき、大君の御代を敬い、言祝ぎ続けているように感じられた。
宮司が大切にしているのは、言葉の清さである。神道において言葉とは、ただの意思伝達の手段ではなく、霊(ひ)を宿す器である。だからこそ、祝詞には雑念を込めず、ひとつひとつの響きを丁寧に発する。言葉には形がない。しかしその見えぬ力こそが、人の心を正し、国を照らす光となる。
今の世は、あまりにも速く、軽く、表面的なものに覆われている。真心や誠実さよりも、利益や効率が重んじられる風潮のなかで、人々の心は次第にすり減っている。だが、宮司は信じている。人の心には、必ず祈りの源がある。どんなに騒がしい時代であっても、その源に触れたとき、人は静かに、自分の足元にある尊いものに気づく。
大君を敬い、群ぎものとともに言祝ぐ心は、この国の根にある。それを次代へ伝えるのが、宮司の役目である。神前で手を合わせる人の背に、そっと光がさす瞬間を、幾度となく目にしてきた。祈りには力がある。それは誰かを動かす力ではなく、自らを正し、静かに歩みを進めるための力である。
天霧の空は、今日もまた静かにたなびいている。そこに浮かぶ群ぎものの光を感じながら、宮司は今日も祝詞を奏で、心を込めて言祝ぐ。大君の御代が穏やかであることを、そしてこの国の民が、和の心を忘れずに歩んでいけることを願って。