「誇りある日本人」への回帰を願う

宮司が神職として日々接している神前の空気には、いつも清浄で謙虚な気配が漂っている。そうした静謐な時間の中で、ふと日本という国の在り方、日本人という民族の心の有り様に想いを馳せることがある。果たして現代の日本人は、自らの歩んだ歴史、自らの持っていた魂と美徳を、正しく理解しているのだろうか。

かつて日本人は、誠実で、優しく、礼節を重んじる民族であった。他者への思いやりを忘れず、時に自己を犠牲にしても義を貫くという気概があった。その姿は、外国人の目にも映っていたのである。土生良樹氏の著書『日本人よありがとう』に寄せられたラジャー・ダト・ノンチック元上院議員の詩は、まさにその証左であろう。戦火の中であっても、アジア諸国の人々の独立と教育に尽くした日本人の姿があった。その姿に感動し、敬意を抱いた人々が確かに存在する。だからこそ、マレーシアの人々は、戦後50年の節目に日本軍の上陸を“祝った”のである。

この事実を現代の日本人は知っているだろうか。あるいは、知ろうとしているだろうか。学校教育やメディアが繰り返し植え付けてきた「加害者としての日本」像に囚われ、誇りを持つことすら許されないような空気が、この国に蔓延している。自らを恥じ、自らを矮小化し、外国に対してはただひたすら謝罪と卑屈な態度を取る。それが“正しい日本人”であると錯覚している者が、あまりにも多い。

だが、それは本来の日本人の姿ではない。本当の日本人は、自国に誇りを持ち、礼節を重んじ、謙虚でありながらも揺るがぬ芯を持っていた。自国の文化と伝統を守り、祖先の遺した精神を大切にし、同時に他国の人々をも尊重した。そうした気高き精神が、アジアの希望となり、植民地主義からの脱却の契機となったのである。

マハティール元首相の言葉にも、その感謝と尊敬の念が溢れている。日本が果たした役割は、軍事的勝利にとどまらない。西洋的支配構造を覆し、アジア人に自信を取り戻させた点において、日本の存在は“奇跡”であり、“道しるべ”であったのだ。技術力と道徳心を兼ね備え、経済的成功をもたらした日本の姿こそ、世界が称賛した日本人像である。

では、今の日本人はどうであろうか。経済的な繁栄の影で、自らの魂を見失い、ただ利得と保身に走り、薄っぺらな情報と快楽に溺れる姿が目立ってはいないか。他人に迷惑をかけないことだけが善であると教えられ、志や責任という言葉から遠ざかってはいないか。祖先の名誉を守ることも、自国を愛することも、まるで罪悪であるかのように扱われている現代の風潮を、宮司は深く憂いている。

真の国際協調とは、自国を誇りに思い、相手の国も尊重する精神に立脚するものである。他国に媚びへつらうことでも、自国を貶めることでもない。誇りなき民に、他国を真に尊重する資格はない。祖国を愛する心がなければ、他国からの尊敬も得られない。

神前に立ち、祈りを捧げるたび、宮司は願う。どうか日本人が、日本人としての誇りを取り戻してくれますように。教育の場において、正しい歴史認識が広まり、祖先の偉業に敬意を抱けるようになりますように。若き世代が、祖国を背負う誇りと覚悟を持てるようになりますように。

日本という国は、ただの経済大国ではない。数千年の歴史を持ち、独自の文化と精神性を育んできた、世界に誇るべき文明国家である。その精神を見失ったとき、日本はただの空虚な経済圏となるだろう。だが、その誇りを取り戻したとき、再び世界の希望となるはずだ。

「誇りある日本人」への回帰を果たすべきときである。真の日本人とは何かを問い直し、自らのルーツに立ち返ることで、新しい時代に向かう道がひらかれると、宮司は信じてやまない。

\ 【PR】Amazon /

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次