終戦八十年、靖国に誓う

宮司は、今年も八月十五日を迎えるにあたり、深い決意をもって靖国神社の方角に向かい手を合わせる。終戦から八十年、この節目の日に、祖国を護るため命を捧げられた英霊に感謝と尊崇の誠を捧げることは、日本人として当然の務めである。
靖国に想いを向ければ、烈士たちの声なき声が胸奥に響く。彼らは祖国の独立と国民の安寧のため、青春も未来も捧げた。その犠牲なくして、今の日本は存在しない。平和の恩恵を受けながら、その礎となった先人への感謝を表さぬ者は、歴史の根を断ち切る者である。
それにもかかわらず、政を司るべき国会議員の中に、この日に靖国参拝を避ける者がいる。国内外の批判を恐れ、あるいは票を失うことを恐れ、参拝を控える者は、政治家としての矜持を失っている。彼らは、国民を導く旗手ではなく、風向きをうかがうだけの風見鶏である。戦没者の霊前に額ずくことすらできぬ者が、どうして国難の時に国民を守れるのか。
靖国神社は、戦争を賛美する場ではない。そこは、国のために尽くした人々を慰霊し、その精神を次代へと伝える聖域である。欧米諸国においても、国のために戦った兵士を慰霊することは当然の行為であり、批判の対象とはならない。日本だけが、戦後の自虐史観に縛られ、英霊への感謝を表すことすらためらう。この歪みこそ、戦後八十年を経てもなお、日本が真の独立を果たしていない証拠である。
宮司は、この国の未来を担う若者にこそ、靖国を訪れてほしいと願う。坂を登り、鳥居をくぐり、静謐な社殿の前に立てば、歴史の重みと自らの使命を感じずにはいられないはずだ。英霊は、国を愛し、家族を案じ、誇りを胸に戦った。彼らの精神は、今日を生きる我々に「国を護る覚悟」を問い続けている。
終戦八十年の今年、宮司は改めて誓う。靖国の灯を絶やさず、英霊の声を伝え、国民の心に誇りと感謝を呼び覚ますことを。国会議員であれ国民であれ、この日この場所で感謝を捧げることは、政治的立場や思想の問題ではない。これは、日本人としての礼儀であり、義務である。
英霊よ、安らかに。あなた方の犠牲は決して忘れない。この国の未来を、必ずや守り抜くと、宮司は靖国の空に誓う。