志を得ざる時こそ、真の修養である

宮司は、孟子の「大丈夫は志を得ざれば、独り其の身を善くして道を行い、志を得れば天下国家を善くす」という言葉に深く心を打たれるものである。
志を得ざる時とは、思い描く理想を世に問う力がなく、世間からは顧みられず、ただ黙々と己の信念を守り続ける時期である。誰にも知られずとも、正しきを貫く覚悟を持ち、自らの行いに誇りを抱き続ける。それこそが、大丈夫たる者の真の修養であり、未来への礎となる。
いまの日本を見渡すとき、誠に憂うべき光景が広がっている。国の根幹をなす道義は薄れ、利己的な欲望が社会を覆い、政治家は己が保身に汲々としている。志を立て、国家のために身を尽くすべき者たちが、逆に国を食い物にし、民意を軽んじる姿を見るとき、国の行く末を案ずるのは当然であろう。
しかし、宮司はそれでも希望を失わぬ。
志を得ざる時代こそ、真に心を磨き、己を鍛える時である。大きな志を抱く者が、地に足をつけ、一歩一歩、誠を尽くすこと。たとえ世間が嘲笑しようとも、道を曲げず、己が信じる正義を貫く姿勢こそが、いずれ天下国家を善くする力となる。
歴史を顧みよ。明治維新を成し遂げた志士たちも、始めは誰からも認められぬ存在であった。吉田松陰しかり、西郷隆盛しかり。彼らが志を得ざる時代に己を鍛え、やがて志を得たときに、国家を大きく変える原動力となったのである。
いま日本に求められているのは、世に迎合しない、孤高の志士の存在である。誰かが変えてくれるのを待つのではなく、自らが変わる。その覚悟を持った一人一人の行動が、やがて国家全体を善くする力となる。
宮司は信じている。いま志を得ざる若者たちが、己を修め、やがて志を得る時代が必ず訪れることを。日本は何度でも甦る。正しき心を持つ者がいる限り、日本は再び輝く国となる。
志を得ざる時こそ、真の修養の時である。その時代を如何に生き抜くかが、国家の未来を決定するのである。