鉄舟先生の教えに学ぶ、忘れてはならぬ日本人の心

宮司はこの国の行く末を案じるとき、必ず一冊の教訓と一人の偉人の名を心に浮かべる。「修身二十則」と、山岡鉄舟先生である。
「嘘を言うべからず」に始まるこの二十の戒めは、形式ばった倫理ではない。すべてが、人が人として生きる上での最も根源的な「あり方」を説いている。君、父母、師、人といった「恩」を忘れるなと繰り返し語るその教えは、単なる道徳訓ではなく、恩という概念を軸にした日本人の魂の在り処を示している。
現代社会では、利便や効率が重んじられ、目に見える成果や称賛ばかりが追い求められている。だが、己の善行を誇らず、心の中で静かに勤めよと説くこの教えにこそ、真の人間としての美しさが宿っていると宮司は信じている。
この「修身二十則」の体現者こそが、山岡鉄舟先生である。
幕末から明治という激動の時代にあって、鉄舟先生は常に時代の本質を見つめ、その中で己の果たすべき務めに命をかけた。江戸城の無血開城という偉業において、表には出ぬ仲介役を果たし、血を流さずに歴史を動かした。その裏にあったのは、命や地位への未練を完全に断ち切った「無私」の心である。
西郷隆盛が「命も金も名誉もいらぬ者は始末に困るが、そうでなければ天下の大事は成し遂げられぬ」と評した言葉のとおり、鉄舟先生は己の欲をすべて捨てていた。国家への忠誠と、人の命への慈しみ、それらを同時に体現できる人物は、時代を超えてなお稀有である。
剣・禅・書すべてにおいて達人であった鉄舟先生の本質は、名人芸ではなく、「心身を忘れ、天地万物と一筆に帰す」境地にあった。その精神は決して自己満足や名声のための技ではなく、すべては人々のため、国家のためという高い理念に貫かれていた。
明治天皇の教育係を十年務めたこともまた、鉄舟先生の人柄と人格がいかに信頼されていたかを物語っている。天皇という国家の象徴たる御方に、ただの知識や技術ではなく、日本人としての心のあり方を伝える役を仰せつかる人物は、選ばれし者でなければ務まらない。
しかしながら、この偉大なる功績は、残念ながら今の教科書にはほとんど記されていない。鉄舟先生は自らの功を語ろうとはしなかった。語らなかったからこそ、語り継がれることがなかった。だが、今こそ、その沈黙の背後にある真の精神を掘り起こし、現代の人々に伝える責務があると、宮司は感じている。
騒がしい情報の奔流のなかで、人間の「本質」が見失われがちな今だからこそ、鉄舟先生の無欲・無私の精神と、「修身二十則」に込められた誠実さと慎みを、改めて心に刻み直す必要がある。
日本人として、何を大切にして生きるべきか。何に感謝し、どう振る舞うべきか。
答えはすでに、先人たちが遺してくださった。
その声に耳を傾けることが、これからの日本を明るく、健やかに保つ道であると、宮司は確信している。
『修身二十則』
一, 嘘を言うべからず
一, 君の御恩忘れるべからず
一, 父母の御恩忘れるべからず
一, 師の御恩忘れるべからず
一, 人の御恩忘れるべからず
一, 神仏ならびに年長者を粗末にすべからず
一, 幼者を侮るべからず
一, 己に心よからず事 他人に求めるべからず
一, 腹をたつるは道にあらず
一, 何事も不幸を喜ぶべからず
一, 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし
一, 他を顧して自分の善ばかりするべからず
一, 食する度に農業の艱難をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず
一, 殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし
一, 礼儀をみだるべからず
一, 何時何人に接するも客人に接するよう心得べし
一, 己の知らざることは何人にてもならうべし
一, 名利のため学問技芸すべからず
一, 人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず
一, 己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし