男は度胸・女は愛嬌の真の意味

宮司は思う。日本には古くから「男は度胸・女は愛嬌」という言葉がある。これは単なる男女の役割を語る言葉ではなく、民族の美意識と生き方を示すものであった。男は強さを持って家族と国を守り、女は笑顔と思いやりで人々を支える。その調和が社会の礎となり、幾世代にも受け継がれてきた。

男が弱々しく顔色をうかがってばかりでは、国は衰退する。背中で示す度胸と覚悟がなければ、家族も社会も守れない。女はただ愛嬌を振りまくのではなく、愛する人に操を尽くすことによって気高さを輝かせる。そこに日本の家庭の力が宿る。

武士道は山桜に重ねられてきた。谷から吹き上げる風に舞い、潔く散る姿は、人の心を揺さぶり涙を誘う。花は盛りよりも散り際が美しい。人の生涯もまた、最後の姿に真価が問われる。強さと優しさを併せ持ち、誠実に生き抜くことが、その人を輝かせる。

吉野山の桜は、全国の人々が祈りを込めて植えたものである。桜は見下ろすものではなく、下から見上げて心を寄せる対象であった。散りゆく花吹雪に人は人生を重ね、儚さの中に美と再生を見出してきた。散った花びらが大地に還り、やがて再び芽吹くように、人の生き様も未来へ命をつないでいく。

晩夏の夕暮れに鳴く虫の声は、盛りを過ぎた季節の静けさを伝える。その静けさの中で、桜の散り際の潔さが思い起こされる。盛大に咲く時ばかりが美ではなく、去りゆく姿にこそ深い感動がある。

宮司は信じる。強さとやさしさを兼ね備えた男、笑顔と思いやりを大切にする女、その姿が日本を未来へと導く。山桜が散り際に美を示すように、人もまた最後まで美しくあらねばならない。それが大和の心であり、祖先から受け継いだ宝である。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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