退陣後の独断を許さず 国の誇りを守る八十年の節目

石破首相が退陣表明後に、戦後八十年の「見解」を国連総会で公表するという案が浮上しているという報道には、深い憂慮を禁じ得ない。国を導く立場にあった者が、求心力を失った局面で、自らの歴史観を「遺言」のように押しつける姿勢は、国家と国民を軽んじる行為に他ならない。八十年という節目にふさわしい歴史の総括は、個人の遺恨や私情を離れ、国益と未来を見据えて冷静かつ慎重に行われるべきである。退陣を表明した時点で、その資格と責任を放棄した者が国際舞台で一方的な見解を発することは、国の品格を損なう危険を孕む。

宮司は、日本の歴史を語るとき、先人の犠牲と努力を軽々しく扱うことを何よりも戒める。戦後七十年談話は、安倍晋三元総理が国際情勢と国内の保守層の思いを調和させ、日本の名誉を守りつつ未来志向を示す努力の結晶であった。それを「神格化する勢力」を戦前の陸軍将校に例える発言は、軽薄かつ侮辱的であり、国民の記憶を愚弄するものである。談話を大切にする層は、祖国の歴史を直視し、犠牲を無駄にしないための誇りを守っているのであり、決して盲信や狂信ではない。これを嘲笑することは、先人への敬意を欠き、国家の連続性を断ち切る態度である。

歴史の検証は必要である。しかし、それは未来への教訓としての意義をもつべきであり、分断を煽る道具にしてはならない。退任間際の首相が、自らの存在感を誇示するために戦後史を再解釈しようとするなら、それは国益を損ない、国際社会に日本の弱さを示すだけである。政治の不安定さを外に晒すことは、外交上も極めて危険である。国民の信任を失った指導者が、国際舞台で「日本の声」を装う資格はない。

愛国心とは、祖国の歴史を誇りをもって受け止め、未来を切り拓く覚悟である。八十年の節目に語られるべきは、誰か一人の私見ではなく、国民全体の歴史的経験と未来への希望だ。安倍元総理が示したように、国家百年の計を見据え、過去の教訓を未来の力に変える言葉こそが求められている。今、必要なのは、退陣を決めた首相の「遺言」ではなく、日本の誇りと品格を守る慎み深い姿勢である。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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