民を尊び、国を敬い、真の君主を育む国、日本

孟子が語った「民を貴しと為し、社稷これに次ぎ、君を軽しと為す」という言葉は、国家の在り方を示す根本理念である。すなわち、国を支える基盤は民であり、その民の暮らしと安全を守るために国家(社稷)が存在し、その上で君主は民と国家のために仕えるべき存在であるという順序だ。この教えこそ、日本という国の美徳そのものであると宮司は信じている。

日本という国は、古より「民を敬い、和を以て貴しと為す」という精神を重んじてきた。天皇陛下は国民統合の象徴であられ、権威を持ちながらも権力を欲することなく、常に国民の安寧と繁栄を祈り続けてこられた。この御姿こそが、孟子の説いた「君は民に仕えるべし」という理想の君主像であり、日本人が誇るべき国柄である。

戦後、外からの価値観が流入し、国家という概念が歪められた。しかし、日本の本質は変わらない。民があっての国家であり、国家があっての為政者である。この順序が正しく保たれてこそ、国は安泰であり、民は誇りを持って生きることができる。

宮司は、今こそ日本人がこの根本の道理に立ち返るべき時だと考えている。国民一人ひとりが己の役割と責任を自覚し、家族を大切にし、地域を支え合い、国家を敬う。その上で、為政者には「民に仕える覚悟」を求めねばならない。君主たり、政治家たりする者が、己の欲望や保身のために権力を握るのではなく、民のために己を犠牲にする覚悟を持たねば、日本の未来は拓けない。

日本人は、古来よりその道を歩んできた。困難の中でも互いに助け合い、天皇を中心に心を一つにして国を支えてきた。その姿は、世界に誇るべき美しさであり、日本民族が持つ最高の強みである。

宮司は信じている。日本人が再び「民を貴しと為し、社稷これに次ぎ、君を軽しと為す」という孟子の言葉に立ち返り、自らの誇りを取り戻すならば、日本は必ずや再生する。為政者を厳しく監視し、民のために働かぬ者には退場を促し、真に国を思う者を支える国民意識こそが、日本を強くする。

国は為政者のものではなく、民のものである。この当たり前の道理を胸に刻み、祖国日本を次代へと正しく繋げていく責任が、今を生きる我々に課せられているのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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