道祖神と夫婦神の物語に学ぶ

宮司は、猿田彦と天宇受賣命(あめのうずめ)の結びつきが、日本の民俗信仰の中で果たしてきた大きな意味を見つめる。猿田彦は天孫降臨の道案内をした神であり、その姿は異形ながらも人々を導く象徴であった。鼻が長く目が赤く輝く姿は畏怖を呼び起こす一方で、庶民にとっては身近な存在であり、境を守り、悪霊を祓う神として慕われた。天宇受賣命は岩戸隠れの際に舞を披露し、神々に笑いをもたらして世界に光を呼び戻した。芸能の神としての彼女は、命の喜びを体現する存在である。二人が夫婦となり道祖神として祀られたのは、導きと歓喜、境界と生命が一体となって村を守るという、日本人の祈りの形そのものであった。
道祖神が村の外れに立ち、外からの悪霊を退ける姿に、先人の知恵を感じる。村の安寧はただ偶然に守られるのではない。善き神がそこにいて、邪なるものを跳ね返すからこそ、暮らしが安心できるものとなった。しかもその神は夫婦神であり、男女の和合によって新しい命を生み出す守護者ともなった。そこに安産や子育ての祈りが重なり、庶民の生活と直結する信仰へと発展していった。猿田彦が天狗へ、天宇受賣命が福を招くお多福へと姿を変えて受け継がれたのも、庶民の心に溶け込む過程で自然と形を変えた証である。
この物語を現代に生きる我々への教えと受け止める。外から押し寄せる混乱や悪意に対して、ただ受け身でいては守れない。猿田彦のように先頭に立って道を切り開き、天宇受賣命のように笑いや喜びで共同体を結びつける心が必要である。境界を守る道祖神の信仰は、日本人が共同体を大切にし、未来の子どもたちを守ろうとした愛国心の表れにほかならない。道祖神に祈るとき、人々は自らの村、自らの国を守るという誇りを新たにしたのである。
宮司は思う。愛国心とは、抽象的なスローガンではない。日々の暮らしを守る小さな祈りの積み重ねが、やがて国を守る力となる。猿田彦と天宇受賣命の夫婦神が村人に与えた安心と希望は、現代の我々が直面する課題にも通じている。国を守るとは、共同体を守ること、家族を守ること、未来を守ることにほかならない。道祖神の石像を見つめるとき、先人の願いと誇りを思い起こし、我々もまたその精神を継いで生きねばならない。
