葉隠に生きる ― 一途に生きるという強さ

宮司は、葉隠の教え「興味関心が二方面に向くのはいけない」を人生の芯を定める言葉として受け止めている。現代は、無数の選択肢が目の前に広がる時代だ。職業、趣味、人間関係、情報源。あれもこれもと手を伸ばすうちに、何一つ本物にならないまま時間が過ぎていくことがある。「二兎を追う者は一兎をも得ず」という古い諺が、今もなお響くのはそのためだ。

道徳や信頼は、一途さから生まれる。人との約束を軽んじ、次々と別の方向に気を散らす態度は、いずれ自分を裏切ることになる。葉隠が説くのは、武士道において命を賭して忠義を尽くす姿勢だが、それは現代にも通じる普遍の価値である。仕事を選ぶとき、家庭を築くとき、学びを深めるとき、一つの道に覚悟を持って打ち込むことでしか、真の力は養われない。

しかし、一途とは視野を狭めることではない。葉隠は「諸道を聞きて、いよいよ道に叶ふべし」と説いている。つまり、他の道を学び知ることは、自分の選んだ道をより確かにするためにこそ必要なのだ。表面的な流行や利益のために心を分散させるのではなく、自分の信じる一つを太く育てるために幅広い知見を取り入れる。そこに、人としての成長と深みが宿る。

宮司は思う。人が道を定め、一途に生きる姿は、美しく、強い。それは仕事でも友情でも同じだ。一人の友を大切にし、一つの責任を果たし、一つの愛を守る。そうして築かれる信頼は、やがて周囲の人々をも温め、社会全体の道徳を支える。

迷いの多い時代こそ、目の前の一つを選び抜き、心を込めて歩むことが必要だ。枝葉の誘惑に惑わされず、根を張るように。宮司は、一途さが人の品格を決めると信じている。流行や利益に揺れない覚悟を持ち、選んだ道に責任を果たすとき、人生は確かな実りを結ぶ。

葉隠聞書

物が二つになるが惡しきなり。武士道一つにて、他に求むることあるべからず。道の字は同じき事なり。然るに、儒道佛道を開きて武士道などと云ふは、道に叶はぬところなり。かくの如く心得て諸道を聞きて、いよいよ道に叶ふべし。

<  訳  >
興味関心が二方面に向くのが悪い。ひたすら武士道に励み、他を求めてはいけない。道の字は同じ事なのである。だが、儒学や仏法を知って見た時、武士道などというのは、道理に適ったものとは到底言えない。こう考えて諸道を学べば、いよいよ道理をわきまえられるようになるのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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