国の根を取り戻す時、自公連立解消に思う

政党の連携とは、本来、国の柱を共に支えるためのものだ。理念を重ね、信義をもって力を合わせる時にこそ、政治は国民の信頼を得る。だが、いまやその柱は軋み、形ばかりの協力が続いてきた。今回、公明党が自民党との連立を離脱したという知らせを聞き、驚きよりも、むしろ「ようやく時が来たか」という思いが胸に広がった。
政治に永遠はない。始まりがあれば終わりがある。それが自然の理である。二十六年に及んだ自公の協力関係は、戦後日本の政治において一つの安定をもたらした。だが、安定とは「変化を止めること」ではなく「より良く動くこと」であるはずだ。長く続いた安定は、やがて惰性となり、国の精神を鈍らせる。宮司は今まさに、その惰性からの脱却が始まったと考える。
自民党が真に保守の道を取り戻すためには、信仰と国家観を軽んじる勢力との同居は限界だった。政治とは数字の足し算ではなく、国の魂をどう守るかの戦いである。高市早苗総裁は、その一点を見誤らない数少ない政治家だ。国家観を持たない政治は、風に流される船にすぎない。公明党が去った後、自民党はようやく重荷を降ろし、自らの信念に立ち返る時を迎えた。
高市氏が掲げてきた「国を守る政治」「誇りある日本」は、単なるスローガンではない。靖国神社に参拝し、英霊に手を合わせる姿勢は、命を懸けて国を護った人々への報恩の証だ。保守とは古い思想ではない。日本人が日本人であるための祈りと誇りの継承である。公明党がそれを理解せず、むしろ「平和」を唱えながら自衛の精神を軽んじてきたことが、この離別の本質である。
とはいえ、いまの政治状況は容易ではない。石破政権の末期的な混乱の中で、高市総裁の道は決して平坦ではない。公明の離脱により、次期首相指名選での票読みも厳しさを増すだろう。だが、信念ある者は孤立を恐れない。国家の舵を握る者に求められるのは、数の力ではなく、国民の心を動かす力である。宮司は、そこにこそ希望を見ている。
古来より、日本は困難の中で強くなる国だった。戦乱、災禍、外圧。いかなる時も、国の基を支えたのは、天を敬い、祖先を敬う心だった。高市早苗という政治家が、女性として、母として、そして一人の日本人として、その心を政治に取り戻そうとしている。その志を支えるのは、数ではなく、信頼の絆だ。政治の再生は、信念の回復から始まる。
今回の連立解消は、決して悲しむべき出来事ではない。むしろ日本の政治が再び「国のため」という原点に立ち返る契機である。高市総裁が次の首相に選ばれるその日、日本は新しい夜明けを迎えるだろう。国を愛するとは、時に孤独を受け入れる勇気を持つことだ。迎合せず、媚びず、真実を貫く。その背に、先人の魂が宿る。
いまこそ、日本の政治に「祈り」と「誇り」を取り戻す時である。さあ、まずは高市早苗首相の誕生を願おう。野党が連合すれば、その道は阻まれる。
