高市早苗総理の所信表明演説を拝して

宮司は、高市早苗総理の所信表明を拝して、深い感動を覚えた。政治とは制度の運営にとどまらず、国の魂を立て直す祈りの営みである。その言葉の一つ一つには、停滞を断ち切り、日本を再び高みに押し上げようとする決意が脈打っていた。国家の再生を語るその姿には、古代より受け継がれてきた「国を思う心」の再興が見える。経済、外交、社会保障といった多様な政策の背景には、失われた日本の精神を取り戻そうとする確かな意志がある。
経済の本質は、人の信頼にある。宮司は、「経済あっての財政」という言葉に、古来より日本人が培ってきた誠実と勤勉の精神を感じた。経済とは数字のやり取りではなく、働く人々の心が生む活力そのものだ。いまの日本人は、長きにわたる停滞の中で希望を見失いかけている。だが、総理の言葉は、人の心をもう一度燃やそうとする呼びかけでもあった。国の豊かさは、制度ではなく人の志によって築かれる。その志を再び信じ合う政治こそ、真の再生への道である。
危機管理投資という構想に、宮司は深い共鳴を覚えた。防災、医療、食料、エネルギー。いずれも神道の祈りに通じる「未然に備える知恵」である。災いを予見し、祈りと行動をもって国を守る。これは、古代から変わらぬ日本の伝統だ。防災庁の設立や国土強靱化の取り組みは、単なる政策ではなく、「護国の誠」を現代に生かすことである。経済を支える根は、常に国土への敬意と人への思いやりにある。政治がそれを見失わない限り、この国は再び立ち上がる。
総理が掲げた成長戦略の中で、AIや量子、宇宙といった先端技術への投資は、未来への信託のように感じられる。科学技術は、正しく用いられれば人を幸せにする。しかし心なき技術は、人を支配し、社会を壊す。宮司はそこに「徳」の教育の必要を思う。古の匠が道具を磨く前に心を磨いたように、現代の技術者もまた、倫理と信仰を持たねばならない。技と徳が調和した時、日本は再び「技術立国」から「品格立国」へと歩むことができる。
地方の振興について語られた部分には、宮司は強い共感を覚えた。地方こそ日本の根であり、根が生きれば国もまた栄える。熊本や北海道に新しい産業が芽吹く姿は、地域に息づく神々の再生を思わせる。吉田松陰の言葉を引き、「己の地より見を起こす」と語った総理の思いには、地域を愛する真心がある。地方が自らの誇りを取り戻し、若者が地元で生きる喜びを見いだすこと。それが日本の再起の礎である。
憲法と皇室に関する言及は、この演説の中でも特に重い意味を持っていた。憲法は形、皇室は魂。どちらも日本の存在を支える両輪である。皇室の安定は単なる制度ではなく、日本人が自らを日本人と自覚する源である。政治の世界でそれを正面から語る姿勢に、宮司は国家への敬意を見た。今こそ、政治と信仰が断絶する時代を超え、共に「国のかたち」を見つめ直すときが来ている。
最後に述べられた「政治とは共に語り、共に決める営み」という言葉に、宮司は深く頷いた。神道もまた、共に祈り、共に生きる共同体の宗教である。独断ではなく、衆議を重んじる姿勢は、この国の精神そのものだ。高市総理が掲げた「日本再起」という言葉には、経済でも軍事でもなく、「心の再建」への祈りが込められている。宮司は、神前に手を合わせながら静かに誓う。日本は必ず立ち上がる。信と徳をもって、再び世界の高みに。
