日本人としての誇りを取り戻す

宮司は、日本人に生まれたことを誇りに思っている。日本という国は、単なる地理的な国土ではない。そこに息づくのは、太古の昔から連綿と受け継がれてきた「和の心」であり、自然と共に生きる精神である。

日本人は古来より、万物に神が宿ると信じてきた。山に神を見、川に神を見、風にも光にも祈りを捧げてきた。自然と対立するのではなく、共に生き、共に栄える。その謙虚さと調和の感性こそ、日本人の美徳であり、世界が日本人を敬う所以である。

しかし近年、この国の中からその誇りが失われつつある。自国の歴史を恥じ、祖先を軽んじる風潮が広がっている。他国からの批判に迎合し、先人の尊厳を金銭や利害の前に差し出す姿を見ると、宮司の胸は痛む。私たちの祖先は、金のために生きたのではない。信念のため、家族のため、そして国のために命を懸けたのだ。その尊い犠牲の上に、今の平和がある。

英霊たちが守り抜いた「日本」という国を、私たちはもっと深く理解しなければならない。戦争を美化するのではない。犠牲の意味を知り、命を賭して守った者たちへの感謝を忘れないことである。彼らの想いを受け継ぐことが、現代に生きる日本人の責任なのだ。

いまの時代は、便利で豊かだが、心の根が浅くなった。情報や言葉が溢れる一方で、魂の声を聞こうとする人が少ない。日本人が日本人としての精神を失えば、この国の形はたちまち崩れていく。どんなに経済が発展しても、心が貧しければ国は滅びる。

宮司は思う。日本人が誇りを取り戻すためには、まず「感謝」と「敬意」を学ばなければならない。食事の前に「いただきます」と手を合わせる。季節の移ろいに心を寄せる。祖先の墓に詣で、手を合わせる。そうした小さな行いの中に、神とともに生きる日本人の魂が宿っている。

うつむくな、恥じるな、日本人であることを誇れ。日本人であるということは、ただの国籍ではない。生き方の美学であり、心の在り方である。先祖が守り抜いたこの国を、次の世代に誇りを持って渡せるよう、いまこそ一人ひとりが立ち上がらねばならない。

宮司は祈る。日本人が再び、神々と祖先に恥じぬ生き方を取り戻す日を。誇り高く、慎ましく、そして真心をもって生きる人々が増えることを。日本人の魂が再び輝きを取り戻す時、この国は真の意味で蘇るのだ。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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