高市首相と中国との会談に見る「真の抑止」とは何か

宮司は、国家の指導者に求められる資質の一つとして、「和の中にある強さ」を挙げたい。強さとは、声高に相手を威圧することではなく、内に確固たる信念を持ち、譲れぬ一線を自覚していることを指す。今回の高市首相と習近平国家主席との会談は、その意味で日本の政治文化と国家意志が試された場であったと感じる。

日本は古来、対話の国であった。和を以て貴しとなし、争いを避け、共存を模索してきた。しかしその「和」は決して迎合ではない。和の根底には、自己を確立した者同士が敬意をもって向き合う精神がある。高市首相が「信念と実行力」を掲げて率直な対話に臨んだのは、その日本的外交の原点に立ち返った姿勢であった。

東シナ海・南シナ海における中国の行動、台湾への軍事的威圧。これらは地域秩序を揺るがす挑発である。いかに友好を語っても、行動が平和を脅かすならば、それは真の対話とは呼べない。高市首相が対話の扉を開いたことは意義深いが、その成果はこれからの抑止力と信念の実行にかかっている。

宮司は思う。抑止とは単に軍事力を誇示することではない。相手に「この国は侮れない」と感じさせる精神的な力をも含む。国家とは何か、国民とは何かという根源的な自覚が、真の抑止力となる。日本人一人ひとりが自国の尊厳を理解し、正義のために立つ覚悟を持つならば、それだけで国家は強くなる。

また、外交の場で問われるのは「文明の深さ」でもある。日本は八百万の神々を敬い、自然と共に生きる文化を育んできた国である。その精神は「和」を尊びながらも、悪を許さぬ清明の心を内に宿す。高市首相の対話の姿勢にその片鱗を見ることができるなら、日本は再び世界の道義的羅針盤となり得る。

宮司は信じている。真の国家間の信頼とは、力と力の均衡ではなく、誠実と誠実の均衡に基づくものだ。日本がこれから進むべきは、安易な融和でもなく、空虚な強硬でもない。信念ある対話、そして道義を基礎とした抑止である。そこにこそ、八紘一宇の理想に通じる「世界と共に生きる日本」の道がある。

国家の命運を担う首相の姿勢に、私たち国民もまた学ばねばならない。外交とは遠い世界の話ではない。国の品格は、国民一人ひとりの心の在り方に根ざしている。日本人が己の歴史と使命を思い出し、精神の自立を果たすとき、この国は再び尊敬される国となる。

そして最後に付け加えたい。精神的抑止と信念の外交は、確かに日本の根幹である。しかし、国家の安全を守るためには、現実的な防衛力の裏付けも不可欠である。祈りと理想のみに頼る国は長く立ち得ない。日本が平和を愛する国であるためにこそ、現実に即した軍事力の整備を怠ってはならない。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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