日本刀と日本人の精神

日本刀を見つめると、その姿の中に日本人の精神の核心が宿っていることを感じる。刀は武器であると同時に、美と機能を極限まで高めた造形であり、また歴史の思潮を映し出す文化の結晶でもある。
折り返し鍛錬によって生まれる地がねの美しさには、日本人の粘り強さと丹精の心が息づいている。板目や柾目といった肌の模様は、自然の木肌と同じく命の表情を持ち、刀工の精神がそのまま刻まれる。刃文に現れる煌めきは、秋の夜空の星や天の川を思わせ、職人の美意識と魂の輝きを伝えている。
刀が武士の魂と呼ばれた理由もそこにある。槍や長刀に比べれば刀は射程で劣るが、日常に携え、狭い場所でも使える即応性を備えていた。その不利を克服するために、武士は自らを鍛え、刀に心身を合わせ続けた。武器を改良するのではなく、己を武器に適応させた。その姿勢が、剣術を単なる戦闘術から精神修養に高めた。
鉄砲が伝来しても、刀が武器の頂点であり続けたのは象徴的である。飛び道具の進歩を拒み、刀を精神の象徴としたことが、武術を精神文化へと昇華させた。「抜くな、斬るな」という逆説的な教えが生まれ、人を生かす道を学ぶ精神的柱となった。
ここに「武士の情け」という言葉の重みがある。人を斬る技を修めながら、その技を使わぬ心を養う。偽りのやさしさではなく、まことのやさしさを求める日本人の精神が、刀を通じて鍛えられてきた。
宮司にとって、日本刀は日本人の心を映す鏡であり、日本文化の誇りである。刀を学ぶことは、日本人が古来より大切にしてきた精神を学ぶことに他ならない。
