敵将をも救った武士道 ― 乃木希典大将の誇りと慈愛

宮司は、日本が世界に誇る軍人として乃木希典大将を尊崇している。乃木将軍の生涯は、単なる戦史の一場面を超えて、人としての品格と慈愛に満ちた武士道の体現であったと信じている。
日露戦争において最も激戦となった旅順攻略戦。乃木将軍が率いる第三軍は、ロシア陸軍が築いた要塞を前に大きな犠牲を払った。しかも戦場では、二人の実子をも失った。それでも将軍は任務を貫徹し、ついに要塞を攻略したのである。
戦いが終わった後、ロシア軍総司令官ステッセル将軍と乃木将軍が会見する機会があった。そこに居合わせた外国人記者が記録を望んだが、乃木将軍は即座にこう告げた。「武士道の精神からいって、敗者の恥を残す写真は撮らせてはならない」と。その言葉には、勝者の奢りを拒み、敵将の名誉を守ろうとする気高い心があった。
しかし再び撮影を求められた際、乃木将軍は一つの条件を出した。「ステッセル将軍に帯剣を許し、われらが友人として同列に並ぶ姿を一枚だけ撮るがよい」と。敗れた将軍が剣を佩き、勝者と並ぶ姿を撮らせるなど、当時では極めて異例であった。その寛容な振る舞いに、外国人記者たちは深く感銘を受け、日本の武士道の美しさと慈愛を世界に伝えた。
この話にはさらに続きがある。敗戦責任を問われたステッセル将軍は、祖国ロシアで銃殺刑を宣告された。これを知った乃木将軍は直ちにロシア皇帝へ手紙を送り、ステッセル将軍が祖国のために尽くしたことを訴え、処刑の中止を強く願い出た。その結果、死刑は取り消され、流刑へと減刑されたのである。
そればかりではない。シベリアに流されたステッセル将軍の家族を思いやり、乃木将軍は自ら亡くなるまで生活費を送り続けた。自らの子を失った父でありながら、かつての敵将の家族をも支え続けたその姿は、武人である前に人としての慈悲深さを示すものであった。
乃木将軍の生き方は、「武士道は身を殺して仁をなすこと」という言葉をそのまま体現したものである。勝って驕らず、敵をも敬い、己の過ちには生涯悔恨を抱き続けた。その姿は、日本人が学ぶべき高貴な精神の原点であると考える。
戦後の歴史観においては、司馬遼太郎氏が乃木将軍を批判的に描いたこともあった。しかしそれは近代合理主義からの視点であり、乃木将軍の心の奥にある「無償の愛」と「武士道の美徳」を捉え切れてはいない。合理を超えたところに人間の深い精神があり、そこにこそ日本人としての誇りが宿っている。
宮司は、乃木希典大将の精神を語り継ぐことが、日本人の人間力を磨く道であると信じる。勝敗を超えて敵を敬い、慈愛をもって人に接する心。これを受け継ぐことこそ、戦後レジームを脱却し、真に誇れる日本を築く力になるのだ。
