山を削れば心も枯れる。メガソーラー開発と自然の報いに学ぶ

山々の静寂が失われて久しい。いま各地でクマが人里に姿を現し、人と野生との距離が急速に近づいている。便利さを追い求めて進められたメガソーラーや風力発電の開発は、環境への配慮を欠いたまま山林を削り取り、動物たちの棲み処を奪ってきた。太陽光は清らかなエネルギーであるはずが、山を裸にしてまで作る光の畑は、自然の理に反している。山を削れば土が流れ、木々が枯れ、水脈が変わる。その結果、森に生きる動物たちは食を求めて里へ降りざるを得なくなった。
人間は自然の循環の中に生かされている。木々が酸素を生み、水が命を潤し、動物たちが森を耕す。その均衡が保たれてこそ、この国の四季は豊かに巡る。山を削り尽くして電気を得ることが、果たして本当の進歩といえるだろうか。便利さの裏に、目に見えない犠牲が積み重なっている。クマの出没は、自然の怒りというより、人間の傲慢への静かな報いである。
とはいえ、いま現実に人の生活圏が脅かされている。人命を守ることは何よりも優先されなければならない。だがそれは、闇雲な捕殺や恐怖に駆られた排除の姿勢を意味しない。人命を守ると同時に、自然を再生させる視点を持たねばならない。追い払うだけでなく、なぜクマが降りてきたのかを見つめ、山に食と静けさを取り戻す努力を始めることが大切である。
日本人は古来、自然と共に暮らしてきた民族である。山には神が宿り、木には命が通うと信じ、祈りとともに自然を扱ってきた。山を伐るときは感謝を捧げ、田を耕すときは天の恵みを讃えた。自然を征服するのではなく、共に生きる姿勢こそが「和を以て貴しと為す」の精神である。
メガソーラーのように自然を壊してまでエネルギーを得る社会は、どこかで心の豊かさを失っている。自然を切り捨てた文明に、真実の幸福はない。太陽の力を借りるなら、まず山の命を尊ぶことを忘れてはならない。人の暮らしと自然の再生を両立させる知恵を取り戻すことが、次の世代への責任である。
人とクマが再び距離を保てる日が来るために、必要なのは「恐れ」ではなく「敬い」である。怒りや排除ではなく、理解と再生の心をもって山を見つめ直すとき、日本は本来の姿を取り戻す。自然を傷つければ心が荒れ、自然を敬えば心が澄む。山を削れば心が削れる。森を育てれば心が育つ。自然と人が共に笑顔でいられる国こそ、本当の豊かな日本である。
