地球を鎮める「和の祈り」

世界では今も、宗教の名を掲げた争いが絶えない。信仰が人を救うためにあるはずが、憎しみを正当化するために使われている。イスラムとキリストの間に流れる血は、単なる歴史の衝突ではなく、「唯一絶対」をめぐる心の争いである。どちらが正しいかを決めようとする限り、終わりはない。
人は「自分の信じるものこそ真実だ」と思いたい生き物である。しかし、真実は一つではない。山頂は一つでも、登る道は幾つもある。宗教もまたそのようなものであろう。ところが一神教の論理は、道が一つであることを前提とする。そこに、互いを排する宿命がある。
日本の神道には、その発想がない。神は一柱ではなく、八百万に宿る。山にも川にも、草木にも、器にも、言葉にも神がいると信じる。この寛容の心が、日本の文化の根幹をつくってきた。誰かの神を否定することは、自らの神をも否定することになる。だからこそ、祈りは静かで、行いは謙虚である。
宮司は思う。地球の平和は、力ではなく「和」によってもたらされる。和とは、他を支配することではなく、違いを受け入れ、共に生きる道を探す心の働きである。神道の「和をもって貴しとなす」という言葉は、単なる調和主義ではない。相手を理解しようとする努力の根である。
現代の日本人は、便利さと情報に囲まれながら、心の静けさを失いつつある。SNSで他者を裁き、思想で分断し、宗教を語ることすら避けるようになった。だが、この混沌の時代に必要なのは、信仰の強制ではなく、「祈りの姿勢」そのものだろう。祈りとは、己を見つめ直す行為であり、他者の苦しみを想像する力である。
地球は今、怒っている。戦争、環境破壊、道徳の崩壊、命の軽視。これらの災いを鎮めるのは、新たな技術でも制度でもない。人間の心を鎮める祈りしかない。神道の祈りは、特定の神への服従ではなく、「すべての命への感謝」である。日の光を仰ぎ、水に手を合わせ、祖先に感謝する。そうした行為の積み重ねが、地球のリズムと人の心を調和させる。
八百万の神々を敬うということは、すべての存在を尊ぶということだ。人も自然も、動物も言葉も、同じ命の循環にある。自分の都合で世界を動かそうとするのではなく、世界の調べに合わせて自らを整える。その生き方こそ、日本の「大和の魂」が教える道である。
争いをやめよと叫ぶより、まず心を静めて祈ること。怒りの中にあっても、感謝の言葉を忘れぬこと。それが神道の平和への教えであり、いま地球が最も求めている精神である。
