暁鐘を撞くということ

宮司は、王陽明の「睡起偶成の詩」に触れるたび、人が生きるということの厳しさと同時に、その中に秘められた希望の深さを思わずにはいられない。四十余年を夢の中で過ごし、ふと目覚めた時にはすでに人生の半ばを過ぎているという感覚は、時代を越えて現代の日本人にも強く突き刺さる問いである。

戦後の日本は、物質的な復興と引き換えに、精神の緊張感を徐々に失ってきた。豊かさは当たり前となり、便利さは空気のように扱われ、いつの間にか何のために生き、何を守るのかという根本的な問いが後景に退いていった。その状態は、王陽明の言う「睡夢」の中にある姿と重なって見える。

宮司が「暁鐘」という言葉に強く惹かれるのは、そこに目覚めた者の責任が込められているからである。まだ暗い時間に撞かれる鐘は、眠りを破るための音であり、心を揺り起こすための響きである。すでに正午を過ぎ、夕刻に差しかかろうとする時代にあっても、気づいた者が鐘楼に登り、声を上げることには意味がある。

令和八年の日本は、外から見れば安定した国家に映るかもしれない。しかし内側に目を向ければ、価値観の混乱、言葉の軽さ、責任の所在の曖昧さが静かに広がっている。立っているようで眠っている人々、語っているようで何も語っていない言葉が溢れ、何が正しく、何が守るべきものなのかを見失いがちになっている。

宮司は、暁鐘とは誰かを裁くための音ではなく、自らを省みるための音であると考えている。まず撞かれるべきは、社会の外ではなく、自身の内にある眠りである。己の心が鈍っていないか、慣れや惰性に流されていないか、その問いを自らに向けることなしに、他者を目覚めさせることはできない。

王陽明が龍場の地で悟り、なおも朦朧とした感覚を抱えながら鐘を撞いた姿は、完全な覚醒者の姿ではない。むしろ不完全であるがゆえに、それでも伝えねばならないという切実さがある。宮司は、その姿に日本人が本来持ってきた誠実さと責任感を見る。

世の中には、声を上げても届かないことがある。鐘を撞いても、耳を塞いだままの人も多い。それでもなお、人の心の奥底には必ず響く場所があるという信念を捨てないことが、暁鐘を撞く者の条件である。人間の耳がすべて塞がれてしまったと信じない、その一点にこそ人間への信頼が宿っている。

大和魂とは、声高に叫ぶものではなく、静かに燃え続ける覚悟である。時代がどれほど移ろっても、目覚めた者が次の誰かを起こそうとする連なりによって、精神は受け継がれていく。宮司は、暁鐘を未来へと繋ぐとは、その連なりを断ち切らぬことだと考えている。

今この時代に生きる者は、すでに人生の午後に差しかかっていることに気づかねばならない。まだ朝だと思い込んでいるうちに、日は傾いていく。だからこそ、気づいた者が立ち上がり、高楼に向かい、できる限りの力で鐘を撞く必要がある。その音はすぐに世界を変えなくとも、必ず誰かの心に残る。

宮司は、暁鐘とは希望の音であると信じている。夜が深いからこそ、鐘は必要であり、眠りが深いからこそ、目覚めの価値がある。令和の世にあっても、その音を絶やさず、日本人の精神の芯を未来へと手渡していくことこそ、今を生きる者に課された務めである。

王陽明「暁鐘」について

王陽明(1472年 – 1528年)は、明代の哲学者であり、政治家、武将としても知られる「陽明学」の祖。 彼の代表的な詩の一つである「暁鐘」は、彼が五十歳を目前にした時期に、自らの歩んできた道を振り返り、真理に到達した喜びと決意を詠んだものである。

この詩は、人生の半分以上(四十余年)を「夢の中」のような模索に費やしたことを自省しつつ、たとえ人生の正午(亭午)を過ぎていようとも、目覚めた今こそが新たな始まりであると宣言する、力強い精神性が込められている。

原文

四十餘年睡夢中
而今醒眼始朦朧
不知日已過亭午
起向高樓撞曉鐘

書き下し文

四十餘年 睡夢の中
而今(じこん) 眼を醒(さ)まし 始め 朦朧(もうろう)たり
知らず 日 已(すで)に 亭午(ていご)を 過ぎたるを
起きて 高樓に向(おい)て 曉鐘(ぎょうしょう)を 撞(つ)く

現代語訳

四十年あまりもの間、私は深い眠りの中(迷いの中)にいた。
今まさに目が覚め始めたところだが、まだぼんやりとしている。
気づけば、日(時間)はすでに真昼を過ぎてしまっていた。
慌てて起き上がり、高楼に向かって暁の鐘を撞き鳴らすのだ。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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