今を引き受けて生きる覚悟

人はとかく、明日を語る。こうなりたい、ああありたいと理想を積み上げ、言葉だけが先へ先へと走っていく。しかし、宮司が常に見つめているのは、未来の設計図ではなく、今この瞬間に立つ人の姿である。過去にどれほどの実績があろうと、未来にどれほどの夢を描こうと、今が空虚であれば、すべては薄く霧散してしまう。
神社に身を置いていると、人の悩みは驚くほど似通っていることに気づく。あの時こうすればよかったという後悔と、これから先どうなるのだろうという不安。その狭間で足が止まり、心が動かなくなっている。だが、時は待たない。過去はすでに手を離れ、未来はまだ手にしていない。確かに掌中にあるのは、今だけである。
宮司は、今という時を生き切ることこそ、日本人が古くから大切にしてきた生き方だと考えている。先人たちは、明日を保証されることのない時代を生きてきた。だからこそ、一日一日を疎かにせず、目の前の務めに心を込め、覚悟をもって決断してきた。その積み重ねが、言葉にされずとも脈々と受け継がれてきた精神の芯である。
迷ったとき、人は考えすぎる。やるべきか、やらざるべきかと頭の中で堂々巡りをする。しかし、宮司は知っている。本当に大切なことは、考え抜いた末に現れるのではなく、一歩を踏み出した後にしか見えてこないということを。迷うくらいなら動く。動いた先で学び、修め、次へ活かす。それが生きている証である。
笑うことも同じである。笑顔は余裕があるから生まれるのではない。覚悟を決めた者が、腹を据えた末に浮かべるものだ。命を大切に思うからこそ、軽々しく扱わず、しかし重く抱え込みすぎず、今を精一杯生きる。その姿勢が、周囲を照らし、人を支える力となる。
やりたいことがあるなら、先延ばしにしてはならない。会いたい人がいるなら、理由を並べず会いに行く。言葉が胸にあるなら、丁寧に、しかし逃げずに伝える。生きている時間は無限ではないからこそ、選び取る一つ一つに意味が宿る。生の輝きは、特別な舞台ではなく、日々の決断の中にある。
宮司が願うのは、遠い未来を飾ることではない。今を真剣に生きる人が一人、また一人と増えていくことである。その連なりが、自然と国の背骨を形づくり、次の世代へと渡されていく。教えとして押しつけるのではなく、生き様として示されるものこそ、本物の継承である。
過去に縛られず、未来に怯えず、今を引き受ける。その覚悟を持つ者の背中は、静かでありながら強い。日本という国が長く保ってきたのは、声高な理想ではなく、この静かな強さであった。宮司は、それが失われてはならないものだと、日々の務めの中で確信している。
今、何をするのか。その問いから逃げないこと。それが生きることそのものであり、次の時代へ手渡す最良の答えなのである。
