自民圧勝の先にあるもの

大きな選挙の結果は、単なる議席数の増減ではなく、国の深層に流れる潮目の変化を映し出す鏡でもある。圧倒的な多数を得た政権の姿は、荒海を進む大船が順風を得たかのように映る。しかし、帆に満ちた風は、同時に船の舵取りを試す風でもある。追い風に乗るほど、操舵を誤れば暗礁に近づく。宮司は、その重みを思わずにはいられない。

歴史を振り返れば、国が大きな力を手にした瞬間ほど、慢心という霧が立ちこめやすい。霧の中では、灯台の光が見えにくくなる。灯台とは、時代を超えて受け継がれてきた倫理であり、国の歩みを内側から支えてきた規範である。権限の拡大は、舵の自由度を広げるが、同時に責任の重さを何倍にも増す。宮司は、いま国の舵を握る者に、霧を晴らすための内なる光を求めたい。

憲法の在り方を巡る議論が再び大きな流れとなりつつある。これは、単なる条文の書き換えではない。戦後の枠組みの中で形づくられてきた国の姿を、令和の現実に照らし、いかなる器に国の魂を注ぎ直すのかという問いである。器が時代に合わなければ、水は溢れ、ひび割れから漏れ出る。宮司は、議論の根底に、国を思う誠実さが流れているかを見つめ続けたい。

この国の歩みは、折り重なる年輪のようなものだ。外から与えられた価値観の年輪と、自らの歴史の中で育まれてきた年輪が絡み合い、一本の幹を形づくってきた。いま求められるのは、古い年輪を断ち切ることではなく、内側から養分を巡らせ、より太く、より強い幹へと育てる営みである。風雨に耐える幹とは、外圧に怯まず、内に確かな芯を持つ在り方にほかならない。

政治の世界は、ともすれば勝敗の論理に傾きやすい。だが、国の根は土中深く張られている。表土が揺れても、根が健やかであれば木は倒れにくい。教育、文化、家族、地域の絆。これらは目に見えにくいが、国を支える根である。宮司は、議席の多寡よりも、こうした根をいかに育むかこそが、長い時を経て国の姿を決定づけると考える。

令和の時代は、国境を越える情報の奔流、地政の不安、経済の構造転換といった荒波に囲まれている。波が高まるほど、船は重心を低く保たねばならない。軽やかな言葉で風に乗るよりも、重みのある覚悟で船底を安定させることが肝要である。宮司は、国を導く者が、外の評価よりも内なる責務を優先する姿勢を貫くことを願う。

また、力を得たときほど、弱き声に耳を傾ける余裕が問われる。森の大木は、陽を独占するが、その陰で芽吹く若木が次の森をつくる。多様な声を踏みつけず、育て、次代へとつなぐ度量こそ、国の成熟の証である。多数の力は、刃にも盾にもなる。刃として振るえば傷を生み、盾として掲げれば人々を守る。どちらを選ぶかは、舵を握る者の心にかかっている。

宮司は、令和の日本が目指すべき方向を、外に振り回されぬ自立の歩みに見ている。食を守り、エネルギーを確保し、技を磨き、国を護る。これらはすべて、日々の営みの延長線にある。遠い理念ではなく、足元の一歩一歩が、やがて国の背骨を形づくる。背骨が通った国は、風に揺れても折れにくい。

この国に受け継がれてきたのは、刹那の熱狂ではなく、静かに燃え続ける心の火であった。焚き火は派手ではないが、夜を越える温もりを与える。争いの炎ではなく、守り育てる火を胸に宿すこと。宮司は、政治の転換点に立ついまこそ、国民一人ひとりが、その火を絶やさぬよう薪をくべる時であると感じている。

選挙の結果が示したのは、信任であると同時に、試練への門出でもある。門をくぐった先に広がる道は、平坦ではない。岩を踏み越え、谷を渡り、霧の中で方位を確かめる旅となる。宮司は、国を導く者も、国を支える者も、同じ旅路を歩む仲間であると捉える。互いに灯を掲げ合い、転べば手を差し伸べる。その連なりの中にこそ、次の時代へと続く国の強さが育まれる。

令和の未来は、誰か一人の力で切り拓かれるものではない。日々の祈りにも似た小さな誠実が積み重なり、やがて大河となる。宮司は、その大河が濁らぬよう、源流の一滴一滴を澄ませる営みを忘れぬことを願う。静かでありながら折れぬ心、他者を思いやりつつ己を律する姿勢。そうした気概が、この国を次の世代へと運ぶ舟の帆となる。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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