なぜ生まれたかを問い続ける生き方

人はなぜ生まれ、なぜ生きるのか。この問いは古今東西を問わず、人の心を揺さぶり続けてきた。佐藤一斎の言葉にあるように、天が人をこの世に生み出した以上、そこには必ず果たすべき役割がある。偶然に生まれ、意味もなく生き、責任も果たさず消えていく命など、一つとして存在しない。この厳しくも揺るぎない前提に立たなければ、人は自らの生を軽んじ、流されるままに時を過ごしてしまう。

宮司は、人生とは安らかな一本道ではなく、迷いと苦しみの中を歩む旅路だと見つめている。理不尽に思える出来事、不公平に感じる現実、努力が報われない苦悩。そうしたものに直面するたび、人は生きる意味を見失いそうになる。しかし宮司は、まさにその混乱の只中にこそ、生きる目的の手がかりが潜んでいると考える。逃げずに向き合い、問い続ける者だけが、天から託された役目の輪郭を掴むことができる。

令和という時代は、便利さと引き換えに、人の心が置き去りにされがちな時代でもある。情報は溢れ、正義は分断され、何を信じ、どこに立てばよいのか分からなくなる人が増えている。宮司の目には、その混乱の陰で、声を上げることもできず、不条理に涙を流す人々の姿が映っている。社会の歪み、家庭の崩れ、心の孤立。その痛みは決して他人事ではない。

宮司が自らの生まれた意味を考え抜いた末に辿り着いたのは、そうした不条理に苦しむ人々に、再び前を向く力を手渡す役割であるという覚悟だった。誰かを救うとは、大きな言葉や派手な成果を示すことではない。話を聴き、寄り添い、生きることを諦めかけた心に、もう一度立ち上がる理由を灯すこと。その積み重ねこそが、人の世を静かに支えてきた。

日本人は本来、与えられた立場や務めを尊び、黙々と果たすことで社会を形づくってきた。名もなき人々の責任感と矜持が、この国の土台を築いてきたのである。宮司は、その精神性が弱まりつつある現代にこそ、自分は何のために生きているのかと問い直す時間が必要だと訴える。目的なく日々を消費する生き方は、自分自身をも空虚にしてしまう。

生きることは楽ではない。しかし、楽でないからこそ、人は自らを磨き、心を深めることができる。宮司は、いつ命を終えても悔いのないよう、役目を果たしきった微笑みを遺して去れる生き方を理想とする。その覚悟があるからこそ、日々の言葉や姿勢に重みが宿る。

この国の未来を担うのは、特別な誰かではない。一人ひとりが、自分が生まれた意味を問い、自分にしか果たせない役割を自覚し、それを全うしようと生きる時、社会は静かに、しかし確かに立て直されていく。宮司はそう信じている。誰一人として、理由なくこの世に生を受けた者はいない。その事実に気づいた瞬間から、人の人生は本当の意味で動き始めるのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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