葉隠に学ぶ、新たな道への第一歩。困難を大いに喜ぶ心

四月。日本の山野に桜が咲き乱れ、風は柔らかく、土の匂いが新しくなる季節である。入学、就職、転勤、転職、独立と、令和を生きる人々にとって、四月とはまさしく「始まりの月」であり、新たな道へと踏み出す節目の時でもある。宮司は毎年この季節になると、社殿に吹き込む春風の中に、不思議な感慨を覚える。桜の花びらが境内の石畳に舞い落ちるたびに、新たな門出を迎えた人々の顔が、走馬灯のように脳裏をよぎるのだ。期待に満ちた顔。不安を押し殺した顔。「本当にこれでよかったのか」と自問しながら、それでも前へと歩もうとしている顔。

人が新しい道を歩み始めるとき、その心の内には必ず、ある種の葛藤が宿っている。希望と恐怖は、コインの裏表のようなものだ。どれほど明るい未来を描いていても、一歩踏み出した途端に、見知らぬ困難が立ちはだかることがある。新しい職場での人間関係、慣れない土地での孤独、自分の力の及ばぬ壁、思い描いていた理想とは異なる現実。そういった試練に直面したとき、人の心はどう反応するか。そのことを深く考えるにあたり、宮司はある言葉を思い起こす。江戸時代、肥前国鍋島藩の武士・山本常朝が口述し、田代陣基がそれを筆録した書、「葉隠聞書」の一節である。

「大難大変に逢うても動転せぬといふはまだしきりなり。大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。一関越えたる所なり。『水増されば船高し』というが如し。」

現代語に改めるならば、こうなる。大変な困難に遭遇しても気を転倒させないというだけでは、まだまだ未熟者である。むしろ、その大変困難な出来事に出くわしたときこそ、大いに喜び、勇んで断固として突き進むようでなければならない。これはいうならば、一つの関門を越えて、すっかり吹っ切れたところである。水が増せば増すほど舟が高くなるように、人間も困難にぶつかるたびに、大きく成長するものである。

この言葉は、単なる精神論ではない。葉隠が語るのは、困難を「耐え忍ぶ」ことではなく、困難を「喜ぶ」ことである。この一字の違いが、天と地ほどの差を生む。「耐え忍ぶ」姿勢の根底には、困難を「不幸」として見る眼差しがある。だが「喜ぶ」という姿勢の根底には、困難を自分を高めるための贈り物として受け取る眼差しがある。同じ嵐に打たれながら、どちらの姿勢で立つかによって、その嵐が人を打ち砕くものになるか、人を鍛え上げるものになるかが決まる。

「関所」という言葉を思い浮かべてほしい。かつて日本の要所に設けられた関所は、旅人の行く手を阻む壁であると同時に、越えることで初めて見える世界への入口でもあった。人生における困難とは、まさにこの「関」に他ならない。新しい職場で大きな壁にぶつかるとき、慣れない土地で孤独に苛まれるとき、夢と現実の乖離に打ちのめされるとき、それらはすべて「関」である。そしてその「関」を越えた者だけが、次のステージへと進むことができる。越えなかった後悔は、歳月とともに静かに、しかし確実に、人の内側を侵食していく。

桜の花は、冬の厳しい寒さを経て初めて咲く。真冬の枝に宿る蕾は、雪にも風にも耐え続け、春が来たその瞬間に一気に花開く。あの華やかさの背後に、いかほどの試練があったか。自然はそのことを、毎年四月に、静かに私たちに教えてくれている。明治維新という未曾有の大変革を成し遂げた志士たちも、皆、途方もない困難の中を生きた。西郷隆盛は二度の島流しという絶望的な状況の中でなお志を失わず、坂本龍馬は脱藩という命がけの決断をもって新しい時代への扉を開こうとした。彼らに共通するのは、困難を前に退いたのではなく、困難を前に「前に出た」ことである。

宮司は毎朝、社殿に向かい、朝の御奉仕を行う。その清々しい空気の中に立つとき、いつも感じることがある。神さまは、弱い者を守りたもうと同時に、弱い者を強くしようとしたもう。試練は、天が人を鍛えるための道具である。鍛冶師が鉄を熱して叩くように、天はその人に相応しい困難をもって、その人を本物にしていく。神前に立って祈るとき、「どうか困難をお取りのけください」と願うよりも、「どうかこの困難を乗り越える力をお与えください」と祈ることの方が、はるかに神さまのご意向に沿った祈りであると、宮司は感じている。神は、逃げる者の後ろではなく、前へ進む者の傍らに立ちたもうからである。

この春、新たな一歩を踏み出したすべての方々へ伝えたい。今、あなたの足元が揺れているとしたら、それは弱さの証拠ではない。新しい大地に初めて立ったからこそ、揺れるのだ。今、あなたの心に不安が渦巻いているとしたら、それは怠惰の証拠ではない。真剣に生きているからこそ、不安が生まれるのだ。今、あなたの前に壁が立ちはだかっているとしたら、天があなたに「ここで一つ大きくなれ」と告げているのだ。困難に遭ったとき、「これほどの試練が自分の前に現れたということは、天が自分をこれほどまでに買ってくださっているということではないか」と受け取る心の向け方ができたとき、あなたの人生は大きく変わり始める。

境内の桜は、満開の後、必ず散る。人々は「散ってしまった」と惜しむが、桜は散ることを恐れて咲くのではない。ただ全力で花開き、そして潔く散る。人の人生もまた、そのようなものではないか。困難という風雨に打たれることを恐れず、ただ今、この瞬間に全力で咲くこと。それが、令和を生きる私たちに求められている、もっとも美しく、もっとも力強い生き方である。新しい道を歩み始めたあなたへ。恐れることなく、前へ進んでほしい。困難に出会ったなら、歓喜踊躍して勇み進んでほしい。水増されば船高し。あなたという舟は、今まさに、大きな水の上にある。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次