生命の根源への覚醒 ― 勾玉の霊力に学ぶ ―

宮司は、勾玉を手に取るたびに、そこに宿る「いのちの記憶」を感じる。古代より、勾玉は単なる装飾品ではなく、神と人とを結ぶ神宝として崇められてきた。三種の神器の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、鏡と剣とともに、天皇の御位と神代の継承を象徴するものである。そこには、天地自然と人とが調和して生きるという、太古の日本人が体得していた宇宙観が息づいている。

勾玉の形は、胎児であり、月であり、魂の象徴である。半円の形は未完成を示し、もう一つの半円と結ばれることで「円」となり、「和」を成す。それは、陰と陽、男と女、天と地、光と影。あらゆる対立が調和して生命が生まれるという、自然の摂理を映している。古代の祭祀では、神職がこの勾玉を胸に下げて神前に立った。そこには、己の心身を清め、神々と響き合うための祈りがあった。

宮司は、かつて古神道の師である小林美元先生、そして神道思想家の中西旭先生から、祭祀の本質について多くを学んだ。小林先生は『古神道入門 ― 神ながらの伝統』の著者として知られ、生命の本源と自然との一体を説かれた。中西先生は『神道の理論』を著し、学問として神道を体系化しつつ、その根底にある「いのちの理(ことわり)」を明らかにされた。お二人とも、神ながらの道に深く生きた真の宗教者であった。両師は口をそろえて語られた。「神職は、勾玉を大切にしなさい。それは御霊(みたま)そのものなのです」と。

宮司はその言葉を胸に刻み、やがてその意味を悟るようになった。勾玉とは、神の御魂を象徴するものであり、人の命がこの世に宿る前の「霊の姿」を映している。古神道では、魂はまず石に宿り、やがて人に生まれると考えられてきた。とりわけ、勾玉の形をした石には特別な霊性があるとされ、それを胸に抱くことで、人は神とつながると信じられた。それは単なる信仰ではない。生命を畏れ敬う心、すなわち「惟神(かんながら)」の道そのものだ。

現代社会は、物質を追い、魂を忘れた。だが、勾玉にこめられた祈りは、いまも変わらず生きている。命とは神からの授かりものであり、人はその一部として生かされている。古人は、玉に触れるたびにそのことを思い起こし、自らを省みた。それが「祭祀」の本義であり、「生かされている」ことへの感謝の行いであった。この精神を失えば、どれほど文明が進んでも、人は魂を見失うだろう。

宮司は、勾玉を通じて日本人の原点を見つめ直す。それは、他を排して自らを立てる生き方ではなく、天地自然と和し、共に生かされる生き方である。勾玉が二つ合わさり円となるように、人と人、神と人、過去と未来が結ばれるとき、真の「和」が生まれる。神職とは、この「和」を祈り続ける存在である。その象徴がまさに「まがたま」なのだ。

勾玉は、形ある石でありながら、形なき魂を映す鏡である。手に取るとき、そこに宿る太古の祈りが静かに語りかけてくる。「命を敬え。天地とともに生きよ」と。その声に耳を澄ませることが、日本人としての覚醒のはじまりである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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