一礼に宿る日本の誇り

韓国の国旗に静かに一礼した高市首相の姿には、日本人が古来から重んじてきた「礼の精神」が息づいていた。相手を敬い、自らを律する心の働きこそが礼である。それは単なる形式ではなく、心の姿勢を映すものであり、目に見えぬ世界を整える力を持つ。

一方で、韓国の李在明大統領が自国の国旗にさえ特別な敬意を示す姿を見せなかったことは対照的であった。国旗は国家そのものを象徴するものであり、それに向かう態度には、その国の精神文化が如実に表れる。高市首相の一礼は、日本がいかなる国であるかを静かに示した行為であり、そこに政治的計算の影はない。

この行為を韓国の人々が驚きとともに受け止めたのは、礼の力が言葉を超えて心に届いたからだ。敬意は外交の戦略ではなく、人と人をつなぐ根源的な力である。頭を下げることは屈服ではない。むしろ、揺るぎない誇りの表れである。

日本では古来、「和」をもって貴しとする教えがある。和とは、妥協でも迎合でもなく、違いを認めつつ調和を生み出す力のこと。礼を尽くすことは、この和の実践に他ならない。どれほど意見が異なっても、相手を敬う姿勢を失わなければ、対話の道は必ず開かれる。

現代社会では、言葉が軽く、他者を貶める風潮が強まっている。だからこそ、静かな一礼の中にこそ真の強さがある。礼を尽くすことは弱さではなく、成熟した人格の証である。

礼に始まり礼に終わるという教えは、武道にも人生にも通じる。高市首相の行為は、外交儀礼を超えて、日本人の精神のあり方を映し出した。国の力は経済や軍事ではなく、品格に宿る。礼を知る国こそ、世界に信頼される国である。この一礼は、忘れかけていた日本人の美徳を思い出させる静かな光であった。さすが高市首相だ、と宮司は改めて尊崇の念を抱いた。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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