横田めぐみさんと吉野の石碑

吉野の山に春が訪れると、千本の桜が一斉に花開き、まるで夢のような景色が広がる。その吉野の地に、ひとつの祈りを刻んだ石碑がある。
それは「桜の吉野祈願祭」の記念碑。吉水神社の境内に静かに佇むこの碑は、単なる記念の石ではない。そこに込められているのは、ある家族の深い愛と、絶え間ない祈りの歴史である。
拉致被害者・横田めぐみさんのご両親、横田滋さんと早紀江さん。彼らは娘が北朝鮮に拉致されてから、ただ一心に、めぐみさんの帰国を願い続けた。17年(拉致発生からは48年)もの長きにわたり、この願いと共に宮司は歩んだ。
また、宮司は、安倍晋三元総理と志を一つにし、拉致問題解決のため全国を奔走した。思い返すと「安倍総理と共に歩んだ17年だった」。吉水神社の石碑は忘れがたい魂の証である。
この石碑には、滋さんと早紀江さんの切なる想いが刻まれている。
「めぐみが無事に帰ってきたら、ぜひ吉野の満開の桜を見せてやりたい…」
春になるたびに、二人は吉野の地を訪れた。その回数は七度にのぼる。毎年桜が咲くたびに、めぐみさんの笑顔を思い浮かべ、神前で手を合わせた。
「めぐみ…北朝鮮にも桜はあるだろう。けれど、それは仮初めの宿。やっぱり日本の、本当の吉野の桜を、見せてあげたい…」
後醍醐天皇が南朝の拠点としてこの吉水神社に滞在されていた頃も、同じように心は京都を慕っていた。京の御所の「雲居の桜」…それは故郷への思慕と帰還の願いの象徴だった。
この石碑は、そんな歴史と、現代に生きる悲しみとが響き合う場所である。
北朝鮮という仮初めの地に閉じ込められたまま、13歳の少女だっためぐみさんは、いまなお日本の大地を踏むことができない。すでに還暦を超えている。彼女が、北の空の下でふと見上げた桜に、日本の記憶を重ねていたかもしれない。親子で過ごした日々、春の陽射しのあたたかさ、そして吉野の一目千本…その夢のような景色を、心の奥に描いていたのかもしれない。
「めぐみちゃん…かりそめの宿から、帰ってきておくれ」
「帰れないのなら、生きていると、声を聞かせておくれ」
横田夫妻の祈りは、石に刻まれ、風に乗って吉野の山に残されている。
吉野の桜がまた咲くたびに、私たちはその花に託された願いを、決して忘れてはならない。あの石碑は、ただの記念碑ではない。日本人が忘れてはいけない「祈りの記録」であり、帰還を待ち続ける者たちの「魂の灯火」なのである。
そして今年もまた、桜は咲いた。寒空の吹雪のような現実の中でも、ふるさとの歌を唄いながら、祈り続ける人々の心に寄り添って…
