人と異なることを恐れるな─吉田松陰先生の教えと平野雨龍という人─

人から笑われようとも、蔑まれようとも、自らが信じた道をひたすらに進む。
そのような生き方を、いまどれだけの人が貫けているだろうか。
宮司は、ある一人の人物に強く心を打たれている。
その名は、平野雨龍さん。
決して世間に迎合せず、権威に媚びず、他者の顔色を伺うことなく、ただ黙々と、自らの信念に従って生きている。その姿勢は、時に誤解され、嘲られ、孤立さえ招く。しかし、平野雨龍さんはまったく意に介さない。周囲がどう言おうと、自らが「正しい」と信じた道を一歩ずつ歩んでいく。
その姿に、宮司はいつも吉田松陰先生の教えを重ねている。
「人と異なることを恐れてはならない。」
これは、松陰先生が門下の若者たちにしばしば語った言葉である。
人と同じであることを安心とし、異なることを怖れる風潮は、現代も変わらない。むしろ、今の時代のほうが、より同調圧力は強まっているかもしれない。けれども、人と違うからこそ、新たな世界が開けるのだ。世間が嘲笑するその「違い」にこそ、未来を変える力がある。
吉田松陰先生の言葉に、次のようなものがある。
立志尚特異
俗流與議難
不思身後業
且偸目前安
百年一瞬耳
君子勿素餐
この漢詩には、松陰先生の思想が凝縮されている。志を立てるには、人と異なることを恐れてはいけない。世俗の意見に惑わされてはいけない。死後のことなど心配するな。目先の安楽は一時の逃げ道でしかない。百年の人生など、一瞬に過ぎない。君子たる者、いたずらに時を過ごしてはならぬ。
今の若者にこそ、この言葉を届けたいと宮司は思う。
目先の評価に振り回され、他人の視線に怯え、何者にもなれぬまま、ただ日々をやり過ごすことに慣れてしまっている。けれど、それでいいのか? 一度きりの人生、誰かの許可を得て生きる必要があるのか?
吉田松陰先生は、それを身をもって示された。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
この辞世の句に、松陰先生の人生観が凝縮されている。
自らの命がどのように終わろうとも、その魂は日本の未来に残るのだと。
実際に、松陰先生が育てた門下生の多くが、明治維新の原動力となった。高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、久坂玄瑞、吉田稔麿…。名を挙げればきりがないが、彼らはいずれも「国の幹となる」という師の想いを継ぎ、日本の近代国家としての歩みを切り拓いた。
松陰先生のすごさは、単なる理想を語るだけではなく、「人を育てる」力にある。志を継ぐ者を育てるというのは、極めて尊い仕事であり、何よりも困難な使命である。それを成し遂げた吉田松陰という存在は、まさに「教育者の極致」であると宮司は確信している。
だからこそ、宮司は自らの「郷土の英雄」として、吉田松陰先生を迷わず選ぶ。
その精神を、現代に生きる私たちがどれだけ継承できているだろうか。
平野雨龍さんのように、人と異なる道を恐れず歩む者が、いまなおこの国にいる。
その存在が、どれほど心強いことか。どれほど希望となることか。
吉田松陰先生の教えは、古びてなどいない。むしろ、今こそ必要とされている。
誰かの期待通りではなく、誰かと同じではなく、「自分の信じる道を歩むこと」。
百年の命など一瞬だ。
その一瞬を、己の志のために燃やし尽くす。
そのような生き方こそが、松陰先生の教えを真に受け継ぐことではないかと、
宮司は思うのである。