本物の人間になるために

宮司は、日々多くの参拝者と接しながら、静かに自らに問いかけている。人として、本物であるとはどういうことなのか。どれだけの地位や名声があっても、どれほどの財産を手にしていても、その人の「在り方」が問われると感じている。
本物の人間であるためには、三つの基本姿勢が必要だと宮司は考えている。これは特別な教えではない。日常の中で誰もが心がけることのできる、誠実な生き方の指針である。
第一に必要なのは、なりきれる人であること。
それは、自分の外から借りた言葉や価値観に頼るのではなく、自らの内から湧き出る思いをもって、真っすぐに生きる姿である。人はつい、世間の目を気にし、流行に合わせようとするが、本来の力は、他人の模倣からではなく、自分の足元を見つめることから始まる。自分という存在にしっかり根を下ろして、誰かの期待や空気に流されずに立つ。それが本物の第一歩である。
次に求められるのは、やりきれる人であること。
一度取り組んだことに対して、途中で投げ出さず、最後まで責任をもって成し遂げる覚悟を持つ。成功するまで諦めずに取り組む心は、見えないところで人を支える力になる。どんなに困難であっても、自らの約束を守り通す生き方は、静かであっても確かな信頼を築いていく。それが、その人自身の誇りとなる。
そして、三つ目に大切なのは、すてきれる人であること。
これは、身勝手な欲や目先の利害を超えて、生き方を天地自然や社会の調和の中に置く姿勢である。自分の立場や損得にとらわれず、公のため、人のために心をひらき、素直な気持ちで物事に向き合える人。その在り方には、自然の風や神の声がそっと寄り添ってくる。
この三つの姿勢は、決して難しい理屈ではないが、現代の生活のなかで忘れられがちなものである。しかし、これをしっかり胸に持ち、日々の小さな行動に反映していけば、やがて人間としての根が深まり、揺るぎない信念となる。
宮司は今日も、神前に手を合わせるたび、自らにこれらの姿勢を問い直している。そして、この心を次の世代へと静かに伝えていきたいと願っている。真に強く、美しい人間とは、自分に誠実であり、周囲に優しく、そして大きなものと響き合える人である。
この道に近づくための一歩は、どんな人にも今この瞬間から踏み出せる。それが宮司の信じる、人生の基本姿勢である。