國のリーダーに求められる資質とは何か

宮司は今なお、安倍晋三元総理を失った深い悲しみを胸に抱いている。あの方こそが、日本という國において真にふさわしい「國のリーダー」であった。知性、教養、品格、そして何よりも「至誠」の人であった。日本という大船は、今や船長を失い、波間に漂う小舟のように彷徨っているかのようだ。

岸田総理、石破総理に代表されるような現代の政治家たちに、國を導く器があるとは到底思えない。氣迫もなく、覚悟もなければ、真理を見抜く胆力も欠いている。国民を導くどころか、隣国に魂を売り渡すことすら厭わぬような、そんな政治の現状に、宮司は深い危機感を抱いている。

偉大なリーダーの条件とは何か。かつてのトランプ大統領がそうであったように、彼の周囲にはイーロン・マスクやフェイスブックの創業者といった「現代の諸葛孔明」が控え、智略と胆識をもって補佐していた。指導者とは、ただ単に地位に就くだけでは足りない。聡明であること、知的であること、そして何よりも覚悟と勇気を備えていなければならない。

宮司が学んだ安岡正篤師の著書『続経世瑣言』の中に、「人物とは何か」という問いがある。その答えに、宮司は常に胸を打たれる。人物とは、地位や財を成した者のことではない。真の人物とは、まず何よりも「活力」「気魄」「エネルギー」に満ちあふれた人である。さらに、「理想」「志」「目標」を明確に持ち、「見識」と「胆識」を兼ね備えていること。そして、才よりも情に厚く、知よりも愛を深く持つ人間であることが重要だ。

人物を養成するには、まず優れた人物に学ぶこと。出会えなければ、古人の思想に学ぶこと。そして、何よりも実践を通じて学ぶこと。これが人物形成の基本であると宮司は確信している。生命力に富み、神経衰弱的でない、意気地のある人物こそが、社会を導く柱となるのだ。

元気という言葉の本質を、多くの人が誤解している。「元気」とは、単なる一時的な活力ではない。それは宇宙的な根元のエネルギーであり、創造力そのものなのだ。宮司の師である豊田良平恩師は、元気と客気の違いを教えてくださった。元気とは、持続し、変化を恐れず、創造力を内に宿した力である。一方、客気とは一過性の勢いにすぎず、すぐに挫折してしまう。人物とは、この「真の元気」を持続的に備えた者のことを言う。

さらに重要なのが「骨力」である。骨力とは、単なる頑固さや我の強さではない。骨の中に秘められた造血作用、酸やアルカリの調整といった人間の神秘的な生命活動の根源となる力のことであり、精神の深奥から湧き出る底力のことでもある。骨力のある者こそが、創造力を持ち、道徳の根本をなすエネルギーを持つ。

この骨力が熟し、磨かれてゆくとき、剛が柔に変わり、やがては深い包容力と智慧を持つ人物となる。これは老荘思想に通ずる境地でもあり、儒教が陽の剛を重んじるのに対し、老荘は陰の柔を重んじる。だが、いずれにせよ、本物のリーダーにはこの両方の力が必要だと宮司は考える。

宮司は今の日本に、かつてのような「本当のリーダー」を必要としていると痛感している。氣迫と理想を持ち、知性と教養に裏打ちされた覚悟ある指導者。安岡正篤師、新井正明師、豊田良平恩師、そして平澤興恩師の教えを胸に、宮司は祈るような思いで、次なる真のリーダーの登場を待ち続けている。

今こそ、「元気」と「骨力」を兼ね備えた人物が國を導く時である。そしてその人物を見抜く力こそが、国民一人ひとりに求められているのである。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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