言葉を正すことは、国を正すこと

仏教の「口業四悪」に学ぶ、政治と言霊のあり方

宮司は日々、神前に向かい祈りを捧げながら、人間社会の根本にある「言葉」の重要性について考えている。言葉は人を慰め、励まし、また深く傷つける力を持つ。言葉は目に見えぬが、確かに人の心に作用し、社会全体の空気をも変えるものである。

日本は古くから言霊の国とされてきた。言葉には霊力が宿るとされ、慎み深く、誠ある発言こそが徳を養い、秩序をもたらすと信じられてきた。神道においても言葉の重さは極めて大きく、宮司としても日々それを実感している。

その一方で、仏教には「十悪」という人間が犯しやすい十の過ちを戒める教えがある。その中でも「口業」と呼ばれる、言葉による四つの悪は、現代社会、特に政治の世界においては警鐘として響く内容である。

■妄語。つまり嘘をつくことである。人の信を裏切る最も悪しき行いの一つだ。政治家の口から平然と嘘が飛び出す現実に触れるたび、民の心がどれほど傷ついているかを思うと胸が痛む。嘘の上に築かれた政策や公約は、いずれ崩れ落ち、国の根幹さえも揺るがせる。

■悪口。他者を罵り、名誉を貶める行為である。言葉による暴力は、肉体への暴力よりも深く人の尊厳を傷つける。選挙や政争の場で、相手を貶すことで自らの正しさを装う者がいるが、それは卑しき行いであり、自らの品位を下げるに等しい。

■両舌。場面や相手によって言うことを変え、人と人とを離間させる言動である。政党内での裏表ある発言や、選挙区によって主張を変える態度に、国民はすでに見抜いている。信用を損なう両舌は、国家の統合力をも損ねる。

■綺語。聞こえの良いだけの虚飾に満ちた言葉である。耳障りの良いキャッチフレーズや、感情に訴えるだけの空虚なスローガン。そこに中身がなければ、やがて民の怒りに変わる。心のこもらぬ言葉は、必ず見透かされるものである。

これら四つの口業は、単なる宗教的な戒めではない。国家社会における信頼と秩序を守る根本の規範である。特に、国政を担う立場にある者がこの教えを軽んじれば、民は言葉を信じなくなり、政治そのものが無意味な空虚に堕する。

宮司は思う。嘘をつかない、悪口を言わない、分断を煽らない、見せかけだけの美辞麗句を弄さない。これらを守れる政治家を、民は本能的に求めている。誠実さこそが、何よりの政治信条であるべきだ。

誠の言葉は、時に耳に痛くても、真実であれば人の心に届く。民の目は厳しくても、その心は正直である。真実を語り続ける者には、必ず信が集まる。

仏教に学び、神道に生きる者として、宮司はこの国に再び「言霊の清らかさ」が宿ることを願ってやまない。政治に携わる者は、まず言葉を慎み、口を清めることから始めねばならない。それが、混乱と欺瞞に満ちた時代を乗り越える最初の一歩である。

言葉を正すことは、心を正すことであり、ひいては国を正すことである。誠の言葉が交わされる国にこそ、真の平和と繁栄が宿ると信じている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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