「桜のように、いかに美しく散るか」

武士道と日本人の覚悟

宮司が神職として、また日本人のひとりとして、常に胸に刻んでいる言葉がある。それは「武士道とは、いかに美しく死ぬか」である。この言葉を聞くと、多くの現代人は顔を曇らせる。だが、それは死を望むことではない。いかに命を輝かせて生き、そして潔くこの世を去る覚悟を持つかという、日本古来の精神的境地である。

ある日、吉水神社に中学生の団体が参拝に訪れた。宮司は唐突に問いかけた。「君たちは武士道と騎士道の違いを知っているか?」生徒たちは怪訝な顔を浮かべ、答えを見つけられずにいた。宮司は静かに語った。「騎士道は、いかに美しく生きるか。武士道は、いかに美しく死ぬかだ」と。その瞬間、彼らの瞳が輝き、自然と拍手が湧き起こり、握手を求めてきた。

何に心を動かされたのか。何に感動したのか。それは、生の意味に触れたからである。現代においては「どう生きるか」ばかりが語られ、「どう死ぬか」は避けられる。だが、日本人は古来より、死を汚れとは見なさなかった。むしろ、死は再生と祓いの門であり、「美しく死ぬ」ことは「美しく生きた」証なのである。

宮司は、かつての武士の生き様に強く心を寄せている。武士は朝な夕なに身を清め、香をたしなみ、髪や爪を整え、鎧や刀を磨き、常在戦場の覚悟で日々を過ごしていた。洒落ではなく、風流でもない。「いま討死しても恥じぬように」身を整える。これは、日常の中に死の覚悟を持つ、日本人特有の精神文化である。

また、宮司が若者たちに訴えたいのは、「国家のために何を遺せるか」という視点である。桜が愛されるのは、その潔さゆえ。満開の瞬間に惜しみなく散る姿に、日本人は自らの理想を重ねてきた。咲くことも尊いが、いかに散るかを問う武士道は、まさに「生の密度」を問う道である。金銀の話、欲の話ばかりに終始する現代の風潮を見て、心から嘆かわしく思う。

葉隠には「武士道とは死ぬことと見つけたり」とある。これは「死に急げ」という意味ではない。いついかなるときに死が訪れても、悔いなく生き切ったと言える生き様を求めるのである。これを忘れれば、日本人の精神は死ぬ。侍たちは、死は終わりではなく、再び生まれ変わる門だと考えていた。だからこそ特攻の若者たちは、笑顔で「靖国で会おう」と言えたのである。死を受け入れるのではなく、それを越えて魂を生かそうとしたからである。

宮司が神道に生きるのも、この精神と通じている。穢れを祓い、再生を信じる。命を賭してでも守るべきものがあると信じている。それが「國體」であり、「日本の心」である。外国から学ぶべきものは多いが、譲ってはならぬものもある。騎士道と武士道は似て非なるもの。薔薇と桜の違いである。咲くために生きるか、散るために生きるか。この違いは、単なる文化の差ではなく、魂の在り方の差である。

中学生たちは、再び神社を訪ねてきた。正式な手水の作法を教え、拝礼の意味を説いた。彼らは再び感激し、バンザイ三唱ののち、別れを惜しみながら帰っていった。何かを受け取ってくれたのだろう。それが「誇り」であり「覚悟」であるならば、これ以上の喜びはない。

宮司が願うのは、ただ一つ。日本人が再び、自らの魂の美しさに目覚めること。そのためには、「美しく生き、いかに美しく散るか」を今一度見つめ直すことである。人生を飾るのは贅沢や快楽ではない。義理と恥と祓いの心である。

国家のために、何を成し、何を遺すか。その問いを持つ若者こそが、日本の未来を再生させると、宮司は信じている。

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この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

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