9月13日、沖縄県知事選挙が投開票された。3選を目指してきた玉城デニー氏は、新人の古謝玄太氏に敗れた。反基地の立場を強く掲げてきた玉城県政が、ここで大きく揺らいだのである。宮司は、この結果を、単なる政局の交代として片づけたくない。
反対運動の側にとって、この敗北は、これまで拠り所としてきた「民意」が失われたことを意味する。基地問題を語る足場そのものが、大きく揺らいだのである。そして、この選挙結果が出た直後から、宮司の目には、ある不可解な光景が映るようになった。
本年3月16日、名護市辺野古沖で、修学旅行中の高校生を乗せた小型船2隻が転覆する事故が起きた。同志社国際高校3年の竹石知華さん、当時17歳と、船長の2人が亡くなった。知華さんは、ライフジャケットが船体に絡まり、命を落としたと伝えられる。転覆した船「平和丸」「不屈」を運航していたのは、米軍基地移設への抗議活動を日常的に行ってきた「ヘリ基地反対協議会」であった。観光船でも旅客船でもない船に、事情を知らぬ未成年が乗せられていたのである。
知華さんのご両親は、事故の直後から、何が起きたのかを明らかにしてほしいと訴え続けてきた。公にした疑問への回答を求め、SNSでの発信を続け、事故が風化することのないよう、声を上げ続けてきたのである。
しかし、この半年、その訴えに十分に応えてきたのは、いったい誰だったであろうか。宮司の目には、既存のメディアも、事故を起こした側の反基地関係者も、長らく素知らぬ振りを続けてきたように映る。ご両親が繰り返し発信してきたにもかかわらず、事故そのものへの関心は、十分に高まることのないまま、半年近くが過ぎていった。
ところが、玉城デニー氏が落選した途端、風向きは変わった。船を運航していた「ヘリ基地反対協議会」は、事故からちょうど半年の節目に、「責任を全うする」との姿勢を示したと、共同通信が報じたのである。宮司は、この言葉を、そのまま素直に受け取ることができない。
振り返れば、事故から2週間以上、運航団体から遺族への謝罪も弔電もなかったと伝えられる。4月2日、ようやくホームページに謝罪文が掲載された。それでもなお不十分だとする遺族の訴えがSNS上で広がり、5月1日、団体は改めて「不十分で不適切な対応について弁解の余地はなく」との言葉を発した。そして選挙が終わった今、ようやく「責任を全うする」という言葉が出てきたのである。
宮司は思う。悔いる心が本物であれば、最初の一言が最も早く出るはずである。詫びの言葉が、指摘を受けるたびに、あるいは政治情勢が変わるたびに、少しずつ重くなっていく様は、悔いというより、世間の目と政治の風向きを計った対応のように映る。
単なる不注意ではない。未成年を、日常的に抗議活動へ用いてきた船に乗せるという判断そのものに、根本の誤りがあったのである。団体自身も、後になって「未成年を受け入れる判断自体に重大な誤りがあった」と認めている。ならば、なぜその自覚が、ご両親が繰り返し声を上げていたあの半年の間になかったのか。なぜ、玉城氏が敗れるまで、待たねばならなかったのか。
『論語』に、「過ちて改めざる、これを過ちという」という言葉がある。過ちそのものより、それを改めぬことこそが、真の過ちであるという教えである。改めるとは、体裁を整えることではない。悔いの重さに見合うだけの、速さと誠実さを持つことである。
出口調査によれば、今回の選挙で有権者が最も重視したのは「経済の活性化」であり、「基地問題」を上回ったという。生活の現実を見つめる沖縄県民の姿勢が、結果に表れたのであろう。しかし宮司は、この選挙結果の背後に、もう一つの審判があったと思う。それは、誠実さに対する審判である。
まことの心があるならば、都合の良いときにだけ殊勝になるということは、起こり得ない。『論語』に、「巧言令色、鮮し仁」とある。取り繕った言葉には、まことの仁が乏しいという教えである。選挙に敗れ、世論の風向きが変わってから語られる反省の言葉に、宮司は、まことの仁を見出しにくい。
これは、政治的立場を超えた話である。右であれ左であれ、賛成であれ反対であれ、人として最も恥ずべきは、都合よく態度を変えることである。掌を返すという言葉があるが、それが許されるのは、事の軽重を見誤っていたと素直に認め、誰よりも早く動いたときだけである。ご両親が半年もの間、孤立無援で声を上げ続けてきたことを思えば、選挙の結果が出てからようやく殊勝になるのでは、あまりに遅すぎるのである。
反対運動そのものを、頭から否定するものではない。基地の在り方について、異なる考えを持つ人々がいることを、宮司は承知している。信念を持って声を上げること自体は、尊いことであろう。しかし、信念の名のもとに、事情を知らぬ子供たちを危険な現場へ引き込んでよい理由には、決してならない。
沖縄は、国境の島々を抱え、現実の安全保障と隣り合わせに生きている土地である。だからこそ、そこに生きる子供たちには、政治的立場の違いを超えて、何よりもまず安全と誠実さが保障されなければならない。基地に賛成する者も、反対する者も、この一点においては一致できるはずである。大人には、子供を守る責任がある。教育の現場に、政治活動の道具として子供を用いる隙が、あってはならないのである。
沖縄は、先の大戦で20万を超える命が失われた地である。ひめゆりの学徒も、名もなき島民も、この島を守るために、あるいはこの島に生きるために、命を落とした。その記憶を持つ土地だからこそ、命の尊さを語る資格は、誰か特定の立場だけのものではない。平和を語る言葉が、政治運動の旗印としてのみ用いられるならば、それは本当の平和とは呼べないと、宮司は思う。
竹石知華さんの御霊に、宮司は深く哀悼の意を捧げる。17歳という若さで断たれた命の重さと、そのご両親が半年にわたり訴え続けてきた思いを、政治的な立場の違いを超えて、この国の大人すべてが受け止めねばならない。この悲しみが、政治的な駆け引きの材料として消費されることのないよう、宮司は切に願う。
古謝玄太氏は、実務を積み重ね、観光消費や県民所得の向上、そして現実的な安全保障の構築を掲げて当選した。理想を語るだけでなく、足元から立て直そうとする姿勢に、宮司は一つの誠実さを見る。もちろん、古謝新体制のすべてが正しいと決まったわけではない。これからの県政もまた、日々の行いによって、県民から厳しく審判され続けるであろう。それでよいのだと、宮司は思う。政治とは、一度の選挙で終わるものではなく、常に誠実さを問われ続ける営みである。
宮司は、この国の大人たち一人ひとりに問いたい。自らが属する運動や信念のためであれば、都合の悪い声には耳を塞ぎ、風向きが変わってから殊勝になればよいと、心のどこかで思ってはいないだろうか。目的の正しさは、手段の甘さを覆い隠す理由にはならない。これは辺野古の運動に限らず、あらゆる立場の人間が、我が身に照らして考えるべき戒めである。
責任とは、追及されてから、あるいは政治情勢が変わってから慌てて言葉を整えるものではない。日頃の判断そのものに、誠実さが宿っていなければならない。子や孫の世代に手渡すべきは、勝ち負けの記憶ではなく、まことの心をもって命と向き合う姿勢そのものである。宮司は、この国の大人たちが、今こそ襟を正すことを願う。
神前に額づき、知華さんの御霊の安らかならんことと、ご両親の訴えが正しく報われることと、この国のすべての大人がまことの心をもって次の世代に向き合うことを、宮司は祈る。