人生というものは、思い通りにはならない。順風満帆に歩ける時もあれば、なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのか、と天を仰ぎたくなるような時もある。人に裏切られることもある。病に苦しむこともある。仕事を失うこともある。大切な人との別れもある。どれほど一生懸命に生きても、避けることのできない苦難というものが、人の一生には必ずやって来る。
しかし宮司は思うのである。
大変な経験、それがやがて感謝となる。
苦しんでいる最中には、とてもそんなことは思えない。「こんな経験などしたくなかった」「どうして自分なのか」と思う。それでよいのである。人間なのだから、苦しい時には苦しい。悲しい時には涙も流れる。腹が立つこともある。しかし、そこで人生が終わるわけではない。その苦しみを抱えながら、それでも1歩、また1歩と前へ進んでいく。すると不思議なことに、何年か後に振り返った時、その苦難が自分を育ててくれていたことに気づくのである。
若い頃には分からなかったことが、歳を重ねると分かるようになる。健康であることのありがたさは、身体を壊した者ほどよく知っている。家族のありがたさは、家族を失いかけた者ほど身に染みて知っている。人の優しさは、自分が弱った時に手を差し伸べてもらった者ほど忘れない。平穏な1日の尊さも、大変な日々をくぐり抜けた者だからこそ分かるのである。
何も困ったことがなければ、「当たり前」が当たり前のままで終わってしまう。
朝、目が覚める。
自分の足で歩ける。
御飯をいただける。
家族と話ができる。
仕事ができる。
今日も夕日を見ることができる。
こんなことは、本当は1つとして当たり前ではない。しかし人間は、恵まれている時ほど、その恵みに気づかないものである。失って初めて分かる。苦しんで初めて分かる。だからこそ、苦難というものには、人間の目を覚まさせる力がある。
宮司も長い人生を歩いてきた。警察官として、生と死の境に立つような現場も経験した。人間の恐ろしさも見た。人間の弱さも見た。しかし同時に、人間の強さ、人間の優しさ、人が人を救う尊さも見てきた。そうした1つ1つの経験があったからこそ、今日まで生きてこられたことそのものに、深い感謝が湧いてくるのである。宮司の歩みには、警察官として重大事件や騒乱の現場に携わった経歴も記されている。
苦難を経験したから偉いのではない。
苦しんだから立派なのでもない。
その経験から何を学んだのか。それが大切なのである。
人を恨む材料にするのか。
世の中を呪う材料にするのか。
それとも、自分を磨く砥石にするのか。
同じ出来事でも、受け止め方によって、その後の人生は大きく変わる。
刀も、砥石に当てなければ切れるようにはならない。人間も同じではないか。苦労という砥石に何度も当たり、削られ、傷つきながら、その中で余計な我欲や慢心が少しずつ削ぎ落とされていく。そして最後に残るものが、「ありがたい」という心なのではないかと宮司は思う。
昔の人は、よく「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言った。
宮司は、この言葉には深い意味があると思っている。
ただ苦しめということではない。苦難から逃げてばかりいると、人間として大切なものを学ぶ機会まで失ってしまうということである。苦労した者には、人の痛みが分かる。失敗した者には、失敗した者の気持ちが分かる。挫折した者には、立ち上がろうとしている人間の背中を押すことができる。
自分の傷が、誰かを救う力になる。
これほど尊いことがあるだろうか。
人間は、大変な経験をすると、以前と同じ人間ではいられない。心のどこかが変わる。人に対する見方も変わる。命に対する見方も変わる。そして本当に苦しい経験を乗り越えた者ほど、声高に自分の苦労を語らなくなるものである。ただ静かに、「ありがたい」と言えるようになる。
それが、人間の深みではないか。
雨の日があるから、晴れの日がありがたい。
冬があるから、春がありがたい。
病気をするから、健康がありがたい。
孤独を知るから、人との御縁がありがたい。
失敗するから、成功がありがたい。
そして死を知るからこそ、今日こうして生きていることがありがたいのである。
人生には、無駄な経験など1つもない。
その時には意味が分からなくてもよい。10年後、20年後になって、「あの時の経験があったから、今の自分がある」と思える日が来るかもしれない。いや、そう思える自分になることこそが、人間の修行なのである。
宮司が大切にする「素心」とは、飾りや損得に染まらず、本来の素直な心に立ち返ることでもある。苦難は、ときとして人間から余計なものを剥ぎ取り、本当に大切なものを見せてくれる。
だから、今、大変な思いをしている人に宮司は申し上げたい。
無理に笑わなくてもよい。
無理に「ありがたい」と思わなくてもよい。
ただ、負けないことである。
今日1日を生きる。
そして明日、また1歩進む。
その繰り返しでよい。
人間は、転ばないことが強さではない。転んでも、もう1度立ち上がることが強さである。何度倒されても、その都度立ち上がればよい。その傷も、その涙も、いつの日か自分の中で静かな力となる。
そしてある日、ふと振り返った時に分かるのである。
「あの大変な経験が、今の自分をつくってくれた」
「あの人との出会いがあったから、今がある」
「あの苦しみがあったから、人の痛みが分かるようになった」
そう思えた時、苦難はもはや苦難だけではなくなる。
苦難が感謝に変わるのである。
人生とは、不思議なものである。
嬉しいことだけが宝になるのではない。
悲しかったことも、悔しかったことも、泣いた夜も、逃げ出したかった日も、すべてがやがて人生の宝となる。
だから宮司は今日も思う。
大変だった。
だからこそ、ありがたい。
苦しかった。
だからこそ、人の優しさが分かった。
倒れた。
だからこそ、立ち上がる力を知った。
大変な経験、それが感謝となる。
その境地にたどり着いた時、人は苦難に負けた人間ではなく、苦難を人生の糧に変えた人間となる。
そして、その感謝の心こそが、次の人生を照らす光となるのである。