乱世に立ち続けた安倍晋三元総理を想う

あの令和2年(2020年)8月、宮司が記した言葉を読み返すと、いまは亡き安倍晋三元総理の姿が鮮やかに浮かび上がってくる。宮司が綴ったのは一人の政治家を讃える文章ではなく、乱世を生きる日本人が進むべき覚悟を示すものであった。病を抱えながらも国を背負う総理の姿に、宮司は「顔で笑って心で泣く」という人間の強さを見ていた。その姿は、為政者だけのものではなく、祖国を愛する者すべてが持つべき心構えであり、弱さを見せれば中国が侵略し、病を公にすれば野党やマスコミが喜ぶという現実の中で、なお毅然と立つ精神を映し出していた。

宮司は「安倍総理に代われる人物はいない」と書き残した。これは単なる偶像化ではなく、日本の国柄を体現し得る人物を希求する叫びであった。憲法改正の発議や北朝鮮訪問といった課題の先に立ちはだかるのは、日本を再び自立した国家へと導く大きな壁である。その壁を越えるために、国民が一丸となって支える必要があると宮司は悟っていた。総理が歩もうとした道を受け継ぐのは、政治家だけではなく、国民一人ひとりである。愛国心とは、他人に委ねるものではなく、自らの生き方に刻むものだ。

「進む時はみんなの意見を聞き、辞める時は自分で決める」宮司が書いたこの言葉には、指導者の孤独と潔さが凝縮されている。決断の時には誰も寄り添うことはできず、ただ己の信念と歴史への責任だけが残る。安倍総理が辞任を表明した姿は、宮司の予見通り、国民に深い感銘を与えた。そこには政治家の責務を果たし尽くした者の静かな誇りがあった。

宮司にとって安倍総理は、日本の未来を守るために心身を削りながらも倒れるその日まで立ち続けた真のリーダーであった。その生き方は、いまを生きる我々に「国のために己を尽くす」という武士道にも通じる精神を思い起こさせる。宮司は愛国の心をこの言葉に込め、私たちに遺した。だからこそ安倍総理の姿を思い返すことは、ただの追悼ではなく、自らの胸に祖国を思う火を宿す営みである。乱世のいま、この火を絶やさずに次代へとつなぐことこそ、安倍総理と宮司の思いに応える道である。

参考原文(2020年8月 佐藤素心宮司)

「安倍総理人間死ぬ時が来たら死にます」
安倍総理が倒れるときは「憲法改正」の発議後「北朝鮮に訪朝して」帰国後
必ず倒れるときは「國会」でマイクを握りしめて「倒れてください」
だが今は「乱世です」
弱みを見せると「中国が侵略してきます」
病気だと言えば「野盗やマスゴミ」が喜びます。
「第4次安倍内閣の組閣」しこのコロナ禍を離脱して
国民が安心できる世の中になるまで頑張ってください。
安倍総理に代われる人物はいないと覚悟くださいませ
安倍総理「顔で笑って」「心で泣いて」
誹謗中傷を「エネルギーとして」
辞めるときは誰の意見も聞かないで
「自分で決めるんですよ」
進む時は「みんなの意見」
辞めるときは自分で決める。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

佐藤素心(一彦)。宮司。昭和16年山口県生まれ。元大阪府警勤務。1979年(昭和54年)の三菱銀行人質事件では機動隊員として活躍。事件解決に尽力した。1990年(平成2年)の西成の暴動では自身が土下座をして騒ぎを治めた。その他、数多くの事件に関わり活躍した人物。警察を退職後は宮司となり奈良県吉野町の吉水神社(世界遺産)に奉仕。吉野町の発展に寄与。故・安倍晋三元総理をはじめ、多くの政治家との交流を持つ。現在は長野県下伊那郡阿南町に安倍晋三元総理をお祀りした安倍神像神社を建立し、宮司を務めている。

目次