9月21日は、安倍元総理がこの世に生を享けられた日である。昭和29年、東京にお生まれになった安倍さんは、政治家としての生涯を通じて、この国のかたちを守り抜くという一つの志を貫かれた。宮司は、この日を静かに迎えるたび、その御生涯にあらためて思いを馳せる。
安倍さんが政治家として繰り返し掲げた言葉に、「美しい国、日本」がある。単なる標語ではなかったと、宮司は思う。祖先が営々と築き上げてきた歴史と文化、家族や地域に根ざした絆。そうしたものを次の世代へ手渡そうとする、深い願いであった。
「日本を、取り戻す。」選挙戦のたびに安倍さんが訴え続けたこの一言もまた、単なる政治的スローガンではなかった。占領期以来刷り込まれてきた自虐の史観から脱し、独立国家としての誇りと責任を取り戻す。その覚悟が、この短い言葉に込められていたのだと、宮司は思う。戦後レジームからの脱却を掲げ、憲法、教育、安全保障の在り方を正面から問い続けた姿勢に、一人の政治家を超えた、国士としての気概を見る。
外交においても、安倍元総理は、地球儀を俯瞰する視座から、日米同盟の強化に力を尽くされた。歴代最長の在任期間を通じて、世界の首脳と渡り合い、この国の安全と国益を守るために奔走し続けられた。損得だけで動く政治家ではなかった。その根底には、常に、祖国への揺るぎない想いがあったと、宮司は信じている。
しかし、安倍さんの生涯には、最後まで果たされなかった一つの誓いがある。北朝鮮による拉致被害者の、全員奪還である。安倍さんは、拉致問題こそ自らが政治家を志した原点であると、繰り返し語られた。拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化はないと訴え、被害者のご家族に幾度となく寄り添い続けられたことを、宮司もまた、数々の報道を通じて知っている。
「自分の手で、必ず解決する。」その強い覚悟を胸に、安倍元総理は、拉致被害者ご家族の会や支援する会の集会に、在任中も退任後も、足を運び続けられた。だが、その願いは、道半ばで断たれた。横田めぐみさんをはじめ、いまなお帰国を果たせぬ被害者と、老いを重ねながら待ち続けるご家族がおられる。安倍さんが最後に抱かれたであろう無念は、いかばかりであったか。宮司は、神前に額づくたび、この痛ましい現実に、深く胸を痛める。
もちろん、拉致問題の解決に向けては、歴代の政権、外交当局、そして何より被害者ご家族ご本人の、長年にわたるご努力があったことを、忘れてはならない。安倍元総理お一人の功績に帰するものではない。しかし、国家の最高責任者として、この問題を政治の最優先課題に位置づけ、国際社会へ訴え続けられた姿勢が、大きな一つの礎であったこともまた、事実である。
街角で見かけるブルーリボンの小さな徽章もまた、この願いの証である。忘れない、諦めない。その一言一言が、被害者ご家族を、そして安倍さんの志を支え続けてきた。この火を絶やしてはならないと、宮司は強く思う。
宮司は、長野県下伊那郡阿南町の安倍神像神社に、安倍元総理の御姿を刻んだ銅像をお祀りしている。それは、政治的な功績を称えるためだけのものではない。祖国への想いと、拉致被害者への無念を、風化させることなく後の世へ伝えるための、祈りの依代である。参拝に訪れる方々が、この銅像の前で何を思われるか。その一人ひとりの胸の内にこそ、安倍さんの志が生き続けていると、宮司は信じている。
崇敬会の方々は、毎年の留魂忌に足を運び、この銅像の前で静かに手を合わせてくださる。国内の一人ひとりが積み重ねてきたその祈りの先に、いつか国境を越えた祈りが加わる日が来ることを、切に願わずにはいられない。
宮司には、一つの願いがある。いつの日か、トランプ大統領と高市総理が、揃ってこの安倍神像神社に立ち、安倍元総理の銅像の前で手を合わせていただく日が来ることである。日米同盟を共に歩んだ盟友として、また安倍さんの志を受け継ぐ指導者として、その御霊の前に頭を垂れていただければ、これ以上の供養はない。
もちろん、一国の元首や総理大臣の参拝には、外交上、様々な制約と配慮があることを、宮司は承知している。だからこそ、これは政治的な要求ではない。一人の神職としての、静かな祈りである。それでも、この願いを胸にしまい込まず、こうして言葉にして申し上げたい。
安倍さんの生誕の日にあたり、私たち一人ひとりにも問いたい。日本という国を、祖先から預かり、次の世代へ手渡す責任を、日々どれだけ胸に刻んでいるだろうか。拉致被害者を一日も早く取り戻すという願いを、遠い誰かの問題としてではなく、自分自身の課題として、どれだけ担っているだろうか。
宮司は、今日も神前に祈る。安倍元総理の御霊が安らかならんことを。拉致被害者お一人お一人の、一日も早いご帰国が叶うことを。そして、いつの日か、日米の指導者が揃ってこの神社に立ち、安倍さんの志の前に、深く頭を垂れる日が来ることを。
甦れ、日本。